蛍光色に浮かぶ寿司

colorless white sushis sleep furiously.

ポストウェイと<終焉の六日間>

 五月の大型連休、たった一日の自主休講によって六日間にも及ぶ長大な休みを戴けるというこの機会を活かし、私は東京の実家に帰ってきました。受験の苦*1を共にした自室の勉強机に愛機のノートパソコンを広げると、黒歴史化に怯えながらブログを開設した数か月前の記憶が蘇ってくるようで懐かしいです。

 開設日は2015年11月3日とのことですから、奇しくも今日はあれから半年の記念日ということになるようです。この六ヶ月間で感情は死に理性は収監され、そして更生への第一歩を歩み始めました。短くかいつまんでもこれだけたくさんの出来事を描いたわけで、その間にこの怪文書群はあまりに多くの人々へと伝播していき、今や集合的黒歴史*2とも呼べる存在になりつつあります。そしてその集合的黒歴史を愛好してくださる方もなかには(ほんの一握りながら)いらっしゃるようで、私としては感謝の意がつきません。しかし今回の記事に関しては、黒歴史愛好家の方々も思わず肩を落とすような残念な出来となっていることでしょう。

 さらに言えば、開設の挨拶時には1000字台に留まっていた文字数も、私の文書結論力(文章中に結論を作る能力のことを指します)の弱体化が明らかになるにつれ次第に拡大していったことで、最長の記事に至っては8000文字を超すボリュームを誇り、非常時の緊急連絡に回されるべき貴重な通信リソースを一時は逼迫していたわけですが、今度の記事に関してはおそらく誰も咎めない程度の情報量に収まるでしょう。

 これら二つの前置きに関して、私が書く前から断言できてしまうのはなぜかといえば、今回の記事は『記事を書こうと思ったんだけどできなかった』という内容の記事だからです。

 

1.躓き

 現在通っている大学への合格を決めてから数日後のこと、私は作ったまま放置していた一つのアカウントに手を加え、数週間後には同級生となるであろう人々と慣れ合うためのいわば大学用のアカウント、大学垢として再利用することにしました。

 出だしは順調でした。進学先の大学名と学部名で検索をかけてプロフィールを吟味し、新入生だと思われた者を無条件にフォローしていく。今の私からすれば考えられないような無差別さ、無遠慮さではありましたが、当時の私は大学入学時の時点である程度人脈を持っておくことにより、他の新入生からのアドバンテージを持ちたかったのです。それは私にフォローされた方にも同様の行動原理と見え、次第に私は同学部の人々とネット上でつながるようになりました。それはつまり、同学部の方同士の会話が見えるようになったということです。

 しかし数日を経て、事態は次第に悪化していきました。一歩を踏み出せないタイプのコミュ障であるこの私が、リプライという会話機能を用いることができずにひたすら独り言を呟いてばかりいる間に、積極的な他の方々同士では次々と会話が持たれていくようになり、いつの間にか私はいわば「ネットコミュニティの当事者」から「ネットコミュニティの観察者」へとシフトしていたのです。

 この事象の原因は私のコミュニケーション能力不足、より端的に言えば対人的臆病さにあり、責められるべきは完全に私だけでした。しかし私はそれを認めなくなかった。それを認めてしまえば、私は今後どんな共同体にも馴染めないという厳然たる事実を突きつけられてしまうから。だから私は、自分が悪いのではない、社会が悪いのだ――そんな私的で自分勝手なコペルニクス的転回を実現するため、自分がそこにいるはずであった、しかし今は閉じられてしまった同学部のコミュニティの粗探しを初めることにしたのです。

2.違和感

 粗探しは難航しました。コミュニティの中で常に割りを食っている人々が存在したなら、つまりいじめに近いような利害構造が固定化されていたなら、それを弾劾するのは極めて容易だったことでしょう。しかし現実は異なりました。コミュニティの成員と思われる人々は、程度に差はあれど皆楽しそうにリプライを飛ばし合い、そのコミュニケーションの糸は長々として途切れることはなく、分け隔てのない和気藹々とした健全で快活な会話を楽しんでいたからです。

 私はそれを羨みました。私も会話の緯糸を紡ぎたいと思いました。しかしどうでしょう?その穏やかで互いを重んじるコミュニケーションを眺めているとき、私の心に強くひっかかる違和感を感じたのもまた事実だったのです。

 その違和感はとても言葉に表現できないものでした。この記事を読んでいる読者諸君の大半も、おそらくこの違和感に共鳴してくれはしないでしょう。「健全で快活な会話」、これのどこに嫌悪感を感じる必要があるでしょうか?倫理的にも論理的にも、これが理想のコミュニケーションであることは明らかであり、共に助け共に笑い合う関係は、まさに理想のコミュニティの十分条件であることも確かでしょう。しかし私はその理想を眺めているにつれ、初めは小さいものだった違和感が、まるで悪性腫瘍のように私の体内に広がっていくのを感じざるを得なかったのです。

3.ポストウェイ概念の発見

 私は違和感を拭えなかった。非常に恥ずかしいことですが、違和感が次第に嫌悪感に悪化していることも感じました。なぜだ?なぜだ?私が善人でないことはもはや地球が公転していること以上に自明の事実でしたが、さりとて根っからの悪人かといえばそれは違うと思っていたのです。だって京都市バスに乗り込んだとき、もし優先席しか空きがなかったら*3私は吊革に掴まって立つことを選ぶ程度には善意を残した人間でしたから。

 それではこの違和感にはどう説明をつけようか?クラス会や新歓への積極的な参加などによる周到な人間観察を経て、四月初期の私が編み出したのは「ポストウェイ」というテクニカルタームでした。

ウェイの否定を図って結束することにより、本質的にはウェイと同等の強権的かつ一方的なコミュニケーションを図る人々が存在する――私は彼らをポストウェイと呼ぶ。 

-2016/4/7,きぷ(@kypu)

  私は当然ポストウェイ批判でまた記事を書こうと思い始めていたので、この呟きは当時の初期構想を漏らしたと思しき貴重なツイートと思われるのですが、ともかく私は「ウェイを否定しながら実質的にはウェイと変わらないことをしている人々」を指すポストウェイという用語を生み出し、そしてこの概念は私の友人Kとの会話でも頻繁に利用されるようになりました。Kもまた大学でのコミュニティに適応障害を起こしている同胞の一人のようでした。今や自分の弁明だけでなく、早くも大学デビューの失敗を確約してしまった全ての人々のために、私はポストウェイへの批判記事を書く使命に駆られていました。

 アメリカの著名な人文科学雑誌、『Social Text』上に先週発表された一つの論文が大きな脚光を浴びている。英ハーグレー大学で社会学博士号を取得したジョージ=ボッチ(George Botch)と日系研究者コージ=ラッセル(Koji Rassel)の共著論文であり、原タイトルは大まかに訳せば『 「ポストウェイ」の時代:表層的ウェイの衰微に追伴した学内階層の定義拡張とその必要性について』と書けるであろう。私はこの分野は専門外なのだが、アメリカ時代の研究室の同期にこの論文を勧められて読んだところ大変な衝撃を受け、邦訳が出れば日本の思想界にも大きな影響を与えるだろうと思ったが、しかし未だこの著作は知識人たちの関心外にあるらしい。そこで、出過ぎた真似であることは十分に承知するが、僭越ながら私の拙訳にてこの著作を紹介したいと思う。

(以下略)

 管理画面にはこんな下書きが残されていました。今思うと何が面白いのか分からない虚構ですが、それを言うとこのブログ全体の意味について考え始めてしまうのでやめておきます。

4.頓挫

 この下書きではこの後学術的論文を装った形での厳密(に見せかけた)ポストウェイ研究を繰り広げようとしたのですが、執筆はポストウェイの定義を厳密化するにあたって行き詰まりをみせてしまいました。用語だけを先に生み出してしまったことから、ポストウェイは友人との会話でも、そして私の脳内でも、誰にでも当てはめられるいわば便利な悪口として用いられるようになったからです。

 ポストウェイが否定したウェイの特徴、これは容易に挙げられるでしょう。染髪、未成年飲酒、甲高い嬌声等の悪しき慣習です。これらはポストウェイには見られません。私がポストウェイと呼んだ人々は、ただ健全で快活な会話を楽しんでいただけなのです。しかし、それでは「本質的なウェイの特徴」とは何なのでしょうか?

 それを未定義にしておくことは非常に有益でした。気に入らない人々をすべてポストウェイとして十把一絡げにしていくことで、ポストウェイはむしろ「俺が気に入らない人」という定義へと変質していったのです。参考までに、我々が挙げていたその頃のポストウェイの特徴として、

  • 仲間内に閉じられた環を作り、その中では助け合うことを是とする
  • インターネットでも互いの親睦を深めることを是とする
  • 初めての人にも無遠慮に話しかけてくる
  • インターネットではやたらと「ツイ廃」という言葉を使いたがる
  • 自虐ネタを一切しない
  • なんか楽しそう

等が挙げられていました。こうしてみるといかにこの概念が無政府的かがよく分かります(特に矛盾を起こしている要素が一対あるように思えます)。

 ポストウェイを厳密に定義するということはすなわち、ポストウェイであるものとでないものの間に境界線を引くということですから、誰にでも貼れる便利なレッテルを失ってしまうという結果が待っていました。それではやはり当初の議論に戻り、仮に私の入りそびれたコミュニティが「ポストウェイではない」コミュニティだったことが明らかになれば、私のコペルニクス的責任転嫁は失敗に終わってしまうのです。

5.転換

 その後私の苦悩は友人Kのとある一言によって打開の糸口を得たように思えました。

 僕はね。ウェイには全体のために個を抑える習性があると見ている。この個を抑えて周りに言動を合わせる事を迎合と呼んでるけど、迎合するかしないか、これが分岐点なんじゃないかな。

-2016/04/21,K

  彼のこの発言を端緒として、我々のポストウェイ観はアルキメデスの点を手に入れました。すなわち、ポストウェイは集団内での和を重んじて他の構成員を批判することなく、そして自らも批判されることをよしとしない集団だと考えるのです。

 この定義は非常にラディカルでしたが、一方で的を射ているように思われました。私の中でのポストウェイ観は次第に固まっていきました。また彼と話し合った結果、「他虐と同様に自虐も行わない」という特徴も、中核から導き出されるポストウェイの特徴の一つであろうと考えられることになりました。

 私は躍起になりました。これは驚くべき進歩でした。ポストウェイは今や便利な悪口ではなく、立派な分析用語として復活を遂げようとしている。もう一度ノーベル社会学賞を狙えるのではないか?そして私は記事の構想を練るため、大学の授業時間等を利用してはさらなる思索に励みました。それは目当てのサークルの新歓にも優先して行われる至上命題でした。

 しかし次第にまた雲行きが怪しくなってきたことに、私は気がつかざるを得なかったのです。

5.<終焉の六日間>

 「ポストウェイはなぜ、どこに誕生するのか?」私がその時直面していたのは、まさにそのような課題でした。他者の視線を内部化して自身を無味乾燥たる世人に落とし込み、翻って集団内での高い位置を占めるための努力をポストウェイに強いるものは何か?

 私が通っていた中高一貫校の男子校にも、確かにポストウェイとも呼べるものは存在しましたが、しかしそれほど多くを占めてはいませんでした。高校時代の友人といえば、何の躊躇も必要とせずに、むしろ一種の喜びを伴って自虐も他虐も行っているような連中ばかりでしたし、他者の視線に至ってはほとんどの人がその存在にすら気づいていないような様相を呈していました。*4

 同時に私は感じていました。大学に来てからというものの、三割にも満たさない程度しかいないはずの女子の存在に、端的に言えば私は怯えていました。異性という存在は、その見た目や立ち振る舞いがあまりに自身とは異質であり、さらには取り扱いに慎重さを期することから、「他者から見た自分」を意識することを私に強いたのです。今の私は異性の心象を損なう行動を取ってはいないだろうか?学生厚生課に通報されても胸を張って*5無実を主張できるか?そんなことを私は四六時中考えさせられたのです。

 さらに言えば、自虐や他虐をほとんどしないというポストウェイの特徴は、異性の目が存在する空間においては自明のことのように思われました。異性が存在する空間において、概して男性はより多くの異性と、より親密な関係を結ぶことを大きな目標として掲げているようでした。それを達成するためには、自身がいかに人間的に優れてあり、自身と結びつくことでどのようなメリットが生じるかを誇示する必要があります。当然、そのためには自虐など最も排されて然るべき行為だったのです。かくして私は思い知りました。

 ポストウェイの特徴とは、即ち男女が共に存在する場の特徴である。

 そして男女が共に存在する場というのは、思うにこの世界の99%を占める場であり、男子校などはその極僅かなる例外に過ぎなかったのです。よって、男子校での自虐コミュニティに慣れきり、男女が共に存在する場のコミュニティに違和感を感じる私に待ち受けている運命は何か?

 

 私は悟りました。男子校で得たコミュニティのみが、今後全生涯で違和感なく属せる唯一無二のコミュニティになるであろうこと。今後私は一生、あらゆるコミュニティに違和感と嫌悪感を持ち続け、自主的にどんなコミュニティからも排斥され続けるであろうこと。

 私がなぜ東京に帰省してきたのか?それは男子校時代の友人たちと会うためです。彼らの大半はポストウェイ的コミュニケーションにさして嫌悪感を持っている様子はなく、異性と関わり合いながらこれからの大学生活を謳歌せんとする気概に溢れています。ですから、あと半年もすれば汚らしい私の影など忘れて大いにコミュニケーションの大海を泳いでいることでしょう。 

 この大型連休の六日間だけが、私と友人が気兼ねなく一緒に遊べる最後の六日間なのです。それを最後に友人は男子校コミュニティから羽ばたいていき、私は生涯にわたってぼっち生活と向き合っていくことになるのです。

 ですから、私はこの帰省期間を<終焉の六日間>と呼びます。人生に残された最後の六日間、私は精一杯楽しみたいと考えています。

*1:受験に楽などない。

*2:ドイツ人における第三帝国のようなもの。

*3:現在の市バスの混雑状況からすれば成立しえない仮定です。

*4:もちろん私もその一人でした。

*5:この慣用句も女性のいる場で用いるとセクハラなのでしょうか。

森林資源保護演習Ⅰ

 四月初めの新入生の健康診断に合わせて、各サークルが趣向を凝らした歓迎イベントを行う紅萠祭という行事は、今より何十年も前から、あるいはひょっとすると百年も前からずっと続いてきたものらしい。まだ見ぬ優秀なメンバーを引き入れるため、サークルの在校生が正門奥の広場にテントを並べ、お菓子とジュースを誘蛾灯とし、迷い込んできた新入生を言葉巧みに自分たちの仲間へ加えようとする。その見かけは汚らしくも思えるが、よく考えればこれもなかなか風情のある伝統で、林見は昨年新入生の側にいたとき、それなりに心が打たれたものだ。そして2回生となった今年からは、自分が伝統を演出する側に回ったのだと考えると、自然準備にも力が入ってこようというものだった。

 彼の所属しているサークルの規模は小さく、テントを持つことこそできなかったが、ビラ配りの列には他の団体と同様に参加していたので、あどけない顔をした新入生たちに紹介文を押し付ける役目は彼にもあった。彼の担当は明日の午前早くということで、端末に話しかけて照明を遠隔操作で消させ、林見は普段より早めに寝ることにした。

 ところで「ビラ」とはどういう意味なのだろうか?眠りに落ちるかたわら、ふと彼は不思議に思った。

 

 少しでも自分たちの団体を新入生たちに印象づけようと、どの団体も大きな声で自分たちのサークル名を叫んでいるのでやかましい。4回生の先輩に聞けば毎年そんなものだということだが、今年は両隣を体育会系団体に囲まれたため、先輩も煩そうに眉をしかめていた。

 健康診断の受付に並ぶ新入生の列の両側を挟むようにして、紅萠祭のビラ配りの数十メートルの列は形成される。林見とサークルの仲間たちはその長い列の真ん中くらい、曲がり角のおかげで新入生が停滞する絶好の位置に陣取ったのだが、生憎その場所は体育会系にも人気が高かった。汗のにおいと野太い叫び声に照りつける太陽もあいまって、まだ午前中だというのに林見はすっかり参ってしまいそうだった。

 とはいえ少しでも多くの新入生を獲得することがサークルの発展に役立つことは事実なので、彼は歯を食いしばりながらなんとか新入生の列にファイルを配ろうとした。また一人正面を通る新入生の、その左腕に巻かれた端末めがけて、林見は自らの端末を差し出す。

 ぴろりん、という拍子抜けな、しかし聴きなれた音が響いて、新入生の端末には「ファイルを受信しました」と表示された。新入生はそのまま歩みを止めずに前へと進み、待ち構えていた次のサークルの勧誘員から差し出された端末を自らの腕へとかざしていた。ぴろりん。一方で林見もまた、次の新入生の端末を目ざとく見つけ、自らの端末をかざした。

 

 二〇六六年現在、「ビラ配りの列」はこうしてウェアラブル端末同士のbluetooth通信を半ば強要することで、新入生のプライベートクラウドに自分たちのサークルの紹介ページを送りつける列になっている。今朝ここに来る道中に検索して知ったのだが、ビラというのは紹介ページをわざわざ印刷した書類で、数十年前まではこの印刷書類を物理的に新入生に手渡していたそうだ。なんて非効率的なんだ、と林見は密かに憤った。印刷物ということはハイパーリンクも無いのだから、興味を持った新入生をサークルのウェブサイトに訪問させることもできないし、双方向性も無いのだからこちらへ連絡することもできない。そして何より、貴重な紙資源を湯水のように使うとはいったいなんて前時代的なのだろう。


 環境保護意識の高まりと二〇三八年のバンクーバー協定をきっかけに、配布を主目的とした私的印刷は日本でも規制を受けるようになった。印刷業界などは大きく抗議の声を上げたが、既にグローバルスタンダードは環境保護側に回っていること、そして業界が風前の灯だったこともあって、印刷行為は違法行為、というのが当然の価値観になっていった。オンラインショップからも印刷に用いられるプリンター、インク、紙などが消えると、しばらくはオークションで普通紙が一枚数万円の価格で取引されたものだが、印刷用具はもともと耐久性に劣る道具だ。数年もしないうちに印刷行為はまったく過去の禁忌になってしまった。

 しかし印刷が犯罪化されたにも関わらず、政府の監視をかいくぐって印刷行為をはたらくヤミ印刷所というものが存在した。高度なAIやネットワーク監視の目を逃れられる紙媒体は、検閲を避けたい犯罪的なデータ――テロ組織の兵器配置図から二次元ポルノ画像まで――を保管するための絶好の手段として用いられたからだ。ヤミ印刷所がいくつあるのか、どこにあるのか、具体的なことは誰にも何も分かっていない。しかし犯罪組織への家宅捜索が入るとき、きまって非合法な印刷物が押収されるので、裏にはヤミ印刷を媒介する犯罪ネットワークが存在するのだろうと目されていた。

 

 午前十一時を回った頃、サークルの同回生がやってきて、ビラ配りの役目を変わってやると言ってくれたので、林見はありがたくその言葉に乗じることにした。列をおもむろに離れ、彼は腹ごしらえをするために中央食堂へと向かう。大学構内は列を離れた場所にも、いたるところで紹介文書を送信しようとする在校生たちの姿があり、なかでも派手なピンク色のTシャツを着た某体育会系サークルはひどく目についた。

「すいません」ピンク色の部員の一人が、林見に声をかけてきた。「新入生の方ですか?」

「……いっ、いえ」林見は小声で声を詰まらせながら答えた。部員はとても図体が大きく、彼はすっかり萎縮してしまった。

「どっちですか?」聞き取れなかったのか、部員は重ねて質問する。そのいかつい顔もあいまって、彼の言葉は詰問口調に思われ、林見は蛇に睨まれたカエルの気分だった。

「……どっち、というのは……」

「新入生ですか?そうですよね?」体育会系のその口調はひどく強いものに感じられ、林見はつい「……はい」と彼に応じてしまった。

「そうか。それは良かった」部員の口調は途端にタメ口へと変わり、「ちょっとここじゃなんだから、少しあっちへ行こうか」と言って林見の肩を掴み、ほぼ連行するように古い校舎の蔭へと連れて行った。

 暗い場所だった。さっきまであれほど聞こえていたはずの勧誘の声が嘘のように、この狭い空間を静けさが覆っている。

「僕たちはアメリカン○○というスポーツをやっている□□ズという体育会系サークルだ。もう詳しい説明はビラロードで受信したろう?だからそれはどうでもいい」

 少し声を潜めて話す彼の背が、自分より頭一つ分大きいことに林見は気づいた。

「だから……これを受け取ってくれないか」部員はとびきり低い声でそう言い、カバンの中から薄く白いシート状の何かを取り出した。林見は息を呑んだ。それはまさしく、違法メディアであるところの『ビラ』だったからだ。

「ひっ」林見は一歩後ろへと飛び退いて、息も絶え絶えに言った。「なんでこんなものをっ」

「驚くのは分かる。君も噂に聞いているだろう、これはヤミビラだ」

「……電子ファイルじゃ、ダメなんですか?」

「僕も確かにそう思う。だが、ビラと呼ばれる紙をどれだけ多く配れるか、これは我が部が昔からずっと取り組んできた課題なのだ……」

彼は声を潜めて語る。

「我が部をはじめとする体育会系では、全体の中で極僅かともいえる、優れた運動能力を持つ新入生をどれだけ引き込めるかに部の実績がかかっている。だから、優秀な部員を数多く勧誘できた部員というのは、普段部内でどんな立ち位置であろうとも、一定の尊敬を集めたものだった……自然、どれだけ多くの優秀な人材を集められるかというのは、部員同士での競争ごととなったのだ」

「しかし争いは長く続くうちに本来の目的を忘れて、至極計量的というか、いかにも単純な競争となってしまった。その評価基準は、『どれだけ多くのビラを新入生に配れるか』であり、多くの部員はこの争いに勝つため、全く運動に見込みがないような新入生にも所構わずビラを押し付けた――しかも何度断られてもしつこく引き下がった。ときには一回生の講義室の机にビラをばらまくこともあった。ただ純粋に、チームメイトよりも大量のビラを捌いて、チーム内での栄誉を受けようとしたからだ。争いはどんどん過熱し、二十一世紀にはもっとも多くのビラを捌いた人間が部の年誌にも記載されるようになった」

「環境意識が高まり、印刷行為への風当たりが大きく強まりながらも、チーム内での競争のためにビラ配りはやむことがなかった。バンクーバー協定の批准を受け、ついに本来のビラ配りは非合法化されたが、それでもヤミの手を借りてまで配ろうとする先輩がたくさんいたと聞いている」

 部員は一呼吸置くと、もう一度林見の顔を見下ろして続けた。

「どうかこのビラを受け取ってはもらえないか。確かにこれは違法行為だ。社会的に望ましくはないかもしれない。しかし、環境保護なぞのために先輩たちの伝統を曲げ、ビラ配りをやめるのは僕の信条が許さない。常識、法律、そんなものより伝統を重視する姿勢こそが、部への愛、部への献身といえるんじゃないだろうか」

 林見は彼の盲目的ともいえる演説を聞きながら、昨年の十一月に行われた学科ガイダンスで言われたことを思い出した。そしてにやりと笑った。

「分かりました、受け取ります。ありがとうございました」林見が短く言うと、部員は喜んでビラを差し出し、これで四枚目だ、暫定一位の部員まであと一枚に迫った、と口走りながら去っていった。

 

 2066年。政府や産業界の強い要請に応えて、林見のいる大学は知と自由の学問の場としての性格を失い、単独で利益性があり、かつ国のために活躍できる人材を育成する場へと大きく転換しつつあった。その一環として手始めに人文系学部は廃止も視野に入れて再整理され、文学部は消滅、法学部も憲法研究室が解散した。

 林見の所属する農学部森林学科は廃止されることこそ無かったものの、五十年前とは大きく姿を変え、教養課程は基本的に無くなったし、一年の頃から時間割のほとんどを必修科目が埋め尽くしていた。道徳の授業も必修だった。そして昨年の秋に彼が聞いた学科ガイダンスで名が挙げられた、2回生配当の科目の一つが、『森林資源保護演習Ⅰ』であった。

 教授の話によれば、その科目は課内では合同の、課外でも自主的なフィールドワークを行うものであり、その内容は『ヤミ印刷物の回収・ヤミ印刷業者及びクライアントの発見』であった。曰く、収集したヤミ印刷物の数が多ければ多いほど評価は高くなり、特に目立った活躍をすれば中央官庁への推薦も十分にありうるということだった。

 

 林見は黙って手中のビラを見つめた。サークル活動に熱心だったかわりに学業には励めず、一回生の時点で単位は低空飛行であったが、このビラを差し出せば教授はどう評価してくれるだろう?数枚ではなく数十枚、ひょっとすると数百枚単位でのヤミ印刷だ。あの部全体へと司法のメスが入れば、林見は記録的な大告発者として、歴史に名を刻むことさえできるかもしれない。

 林見はゆっくりと農学部教務掛へと向かった。この一枚のビラは数十人ものアメフト部員を地獄へと落とす代わりに、自分を出世街道へと導いてくれる素晴らしい切符だ。口角から笑みがこぼれるのを、彼は隠すことができなかった。

 

 教務掛につくと、白けた目をした事務員が彼を迎えた。

「ECS-IDが無効です.e-Learning 情報セキュリティコースを受講してください.」

 よく見るとそれはよくできたAIだった。2066年。ついに助成金を打ち切られ、学校債を発行するようになった大学は、利益の最大化のために人員を可能な限り削減していたのだった。

学歴主義 傾向とその対策

 6時29分。のぞみ400号は定刻通りに京都駅を発った。9号車、指定席の車内は十代後半の子女と、四十代後半の母親に溢れている。

 車内を明るく照らす暖色とは相反して、車内の空気は冷たく、そして濁っていた。静かな呻声、嘆息、嗚咽。車内の隅から漏れる微かなノイズが、諦念、虚無、絶望といったあらゆる種類の負の感情で車内を満たす。

 このような深刻な状況は、災禍的な天変地異や、あるいは非条理な凶悪犯罪によって招かれたのではない。それどころかこの絶望は、あらゆる物理的暴力を伴わず、純粋に形而上的な、あるたった一つの価値観によって地上に生じたのだ。

 その価値観こそ、学歴主義。我々を徹底的に痛めつけ、苦しみを刻み付ける21世紀の怪物なのである。

 

 先週、私は二泊三日である京都の大学を受験しました。一日目の夜、非常に率直に言えば、受けた感触は極めて良好で、私は明日の準備と自慰行為を済ませると、笑みを浮かべながらこれからのことについて考え始めました。学部での授業のこと、京都での生活のこと、そしてついに手にいれることができた、念願の「学歴」というステータスのこと。

 学歴は欲しいです。学歴は最高です。学歴さえあれば何でもできます。東大に合格すれば三浪でも総勢6人もの美少女に告白される*1というのですから、京大現役合格ならばせめて2人くらいは獲得できるでしょう。学歴とは権威であり、権威とは正義であり、この世界に存在するどんな貴金属も学歴の価値には遠く及ばないのです。

 学歴最高……学歴最高……!ホテルのベッドカバーの上に大きく寝転がり、スマホ私のブログを引用した哀れなる友人の記事を鼻で笑いながら、私はこの武器の切れ味を最大化する方法について考えていました。そしてブログのことを思い出しました。私はそこで反学歴的な発言を繰り返していました。当然自身の勉強不足を正当化するための口実に過ぎなかったわけですが、このまま学歴を得ては整合性がとれない。そうだ、自身の本心を偽って、学歴を得た立場にありながら反学歴主義的記事を投稿するというのはどうだろうか?

  私が受験生活の間長いこと所属してきたネットコミュニティは、いわゆる自虐コミュニティというものでした。

 人間以外の霊長類の多くも、我々人類と同じように社会性を持っています。そこで作られる共同体、すなわちコミュニティには上下の別があります。群れにはリーダーがいて、その下には幹部が、さらにその下には手下のサルがいるのです。その上下の決定はサル同士の力関係によって定められます。威嚇や格闘によって、強いと認定されたサルが上へ、弱いと認定されたサルが下へと行くのです。

 自虐コミュニティは違います。自虐コミュニティにも当然上下の別があり、上を目指して各アカウント、すなわちサルは示威行動を繰り返すわけですが、そこで上に行くのは弱いサルであり、強いサルはむしろ集団から蹴落とされて下へと向かうのです。*2

 私はこの受験を通して、より社会的に強いステータスを得てしまう。そうすればネットコミュニティからは排斥されてしまう。さすがに避けたい事態でした。しかし反学歴主義を掲げ続ければ、私は表面上自虐コミュニティでの立ち位置を保持できるのではないか?

 さらに言えば、学歴を否定することによって、私は逆説的に自身の学歴を誇示することができます。「学歴を否定する高学歴」……なんと魅力的な言葉でしょうか。そうしよう……帰ったらブログの更新をしよう……。帰りの新幹線の中で書き出したという想定の下、そうして一日目のベッドで、明日試験が控えているというのに書かれた出だしが上の文章になります。よく見ると自分の状況については言及がありませんね。性格のクソさが思いやられます。

 一日後、私の容態は急変します。

 

 二日目終了後、荷物を預けていたホテルへと市バスに乗りながら、私は長い溜息を吐きました。手に握られたスマホは、某大手予備校の解答速報を映し出していました。バスに座るなり真っ先に数学のページを見たのです。*3なぜかといえば、数学は昨日行われた科目で、最も自信があったからです。私は「解答」をタップしました。そして絶望しました。そこに映し出された模範解答は、私の解答の数字とそれぞれ微妙なズレを示していたのです。

 焦りました。国語のページもクリック。絶望。私はこの人たちと同じ文章を読んだのだろうか?二日目の解答はまだ出ていないから、一旦ブラウザを閉じて、ツイッターを開く。

 するとそこには京大受験者と思しき者のツイートがありました。それが言うには、「世界史の論述問題は二つとも河合の模試で既出のものだった」とのこと。

 諦念。虚無。絶望。

 トルコ人のイスラーム化、イギリス・プロイセンにおける啓蒙思想の受容、という二つのテーマは、どれも切り口は鮮やかであるように見えながら、実際には広範囲の時代や事物を結びつける高度な知的能力が要求されました。つまり、私には無理だったのです。

 しかし、私ができない問題は、きっと他の受験者も出来ていないだろうと予想していた。それが……それなのに……。私は東進、代ゼミ駿台の京大模試を受けておきながら、河合の模試は一つも受けていなかったのです!

 呻声、嘆息、嗚咽。新幹線の中、私が漏らしたノイズは、きっと自由席*4のサラリーマンに溢れた車内を賑やかにしてくれたことでしょう。

 

 私は反学歴主義に断固として反対します。受け入れられない。私は深刻に抗議します。真剣に主張します。理性も感情も出てきません。出てくるのは、そう、正論――正論です。

 

1.廿一世紀之怪物学歴主義

学歴主義 Gakurekism

人の価値を評価する尺度として学歴を重視するさま。高学歴であることに高い価値を見出し、低学歴の者を侮るさま。

- 実用日本語表現辞典*5

 さて、自虐コミュニティの話にも少し出てきましたが、共同体には上下の別があります。それはSNSのような小規模のものに留まりません。むしろ我々が生きる「世界」という社会こそ、一種の階級構造を明らかにしているといえるでしょう。

 近世まで、我々の上下を図るのは身分でした。それは本人の努力によって変えることはできず、生まれ持った身分によってどんな一生を送るかが定められていました。農民の子は農民であり、定められた小作地を耕す運命にあり、本人の素質はそれに影響しなかったのです。

 この時代、下層階級の存在は人権意識の未発明により正当化されていました。農民は確かに人間だけれども、人間という概念は均一なものでないから、差別は正当化されました。背の高い人間、低い人間がいるように、身分が高い人間、低い人間が存在するのは当然だったのです。

 近代に入り、人権という概念が発明されました。どんな親の下に生まれようと人は平等である、という考え方が不完全ながらも浸透していきました。しかし共同体は支配者層と被支配者層の別なしには成立しません。よって、既存の身分構造を一旦破壊したのち、再び支配者階層が構成されました。近代市民革命は支配構造の破壊を達成したかのようにみえて、結局支配構造の再構築を果たしたにすぎなかったのです。

 さてどんな時代にも、支配者階層の支配を恒久化させるためには、被支配者層に支配の正統性を示す必要がありました。前近代においては、この役目は身分が果たしていました。インドを代表とする東洋では特に、身分差は輪廻の概念と結びつくことで、支配の大きな楔となりました。しかし近代に入ってはどうなったか。

 生まれの差を否定しなければならない以上、身分制度はもう使えませんから、生まれとは表面上切り離して、本人の支配適性を評価しなければなりません。予測能力がある、頭が切れる……。一方で支配適性は万人に客観的に明らかにするのは難しいものです。「支配に必要な高度な能力を備えている」ということを、その高度な能力を持たない民衆にどう伝えるか?

 そして作り出された権威が学歴だったのです。

 大学教育は確かに支配の道具になりうる学問を教えるわけですが、その道具の習得具合は被支配者層には理解できず、そもそも客観的な理解も難しい。そこで大学に序列をつけ、卒業大学の序列は習得具合、すなわち本人の優秀性と必ず一致する、というイメージが生まれました。これは大学の中身それ自体より名前を重視するわけで、大学のブラックボックス化ともいえます。このブラックボックスは理解の容易性からほとんど全ての民衆に受容されました。

 学歴に優劣をつけることによって、より上の者が下の者を搾取する行為は正当化されました。優れた人が上に立ち、劣った人々を支配し教化するというのは、西洋では教会組織(ヒエラルヒー)から、東洋では孔子に始まる儒家思想に至るまで、ほとんどの文化で普遍的に評価される構造だったからです。

 しかし、大学のブラックボックス化が際限なく進んだことで、多大な副作用が生まれました。過熱しすぎた受験競争はよく言われることですが、それに加えて「大学」への就学自体が優秀性を高めることから、本来大学に行く目的である学問に興味の無い人々が入学することが増えました。出世するために、とりあえず大学に行く。これはやる気が無く授業に出席しない学生を増やし、学問への適性を持つはずの人々の枠を逼迫するしました。

 逆の現象も言えます。本来学問に興味があるのだが、その学問を勉強できる大学の学歴的価値が低いから入学できない、あるいは親が許してくれない。例えば文学部と政治経済学部の合格を貰っているときに、本人は言語学を勉強するために文学部に行こうとしているのだが、親は政治経済学部への入学を強引に迫ってくる。この災禍的かつ強権的、悲劇的な人権侵害はすべて、学歴主義と密接に結びついた大学のブラックボックス化によって引き起こされたのです。

 さらに学歴は支配階層を固定化します。なぜならば学歴は親と子の間に強い相関関係があるからです。高学歴の子は容易に高学歴になりやすいということであり、言い換えれば高学歴でも親の学歴が高いなら当たり前だということなんですが、これ以上言うと同級生の自尊心を破壊しそうなので黙っておきます。これらの事実は科学的に証明されているものなので、興味があればフランスの社会学ブルデューの著作を読んでみるといいと思います。

 

 とまあ、このように学歴主義は支配の必要性から生まれ、我々を21世紀に至るまで苦しめ続けている怪物なのです。確かに支配の正当化というのは社会の安定のためには必要でしょうが、学問機関にすぎない大学を一種の身分にまで仕立て上げるのは、誰にとっても幸福な結果は生まないような気がします。

 

2.受験界のサティヤーグラハ

 侵略者の暴力に暴力をもって応えるようなことはせず、侵略者の不法な要求には、死を賭しても服従を拒否する――それが非暴力の本当の意味です。みなさんが非暴力の剣で武装するとき、地上のどんな権力もみなさんを征服することはできません。

- マハートマ・ガンディー 「わたしの非暴力」より

 

 それでは学歴主義という怪物にどう立ち向かえというのか?あなたはひょっとするとこう考えるかもしれません。学歴主義をこの地上から消し去るためには、官僚組織、予備校、とにかく東大入りを薦めてくる進学校の担任教師、そういうものを物理的に破壊すればよい、と。

 それは違います。全くもって正しくありません。*6どんな理想的な理念も、それを暴力的に押し付ければ崩壊してしまうのは、ジャコバン派ボリシェヴィキを筆頭とするあらゆる歴史が証明しています。

 学歴主義を消し去る方法は実は意外とシンプルで、拍子抜けされる方もいらっしゃるでしょう。その方法とは、「自分が学歴主義に従わない」という、ただそれだけのことなのです。

 考えても見てください。学歴主義の圧力は、よくよく考えれば実体を持っているわけではありません。学歴という権威を高めているのは、単なる「学歴は素晴らしい」という一社会における共通認識であり、それを失えば学歴は血液型くらいどうでもいいものになるでしょう。誰もが重要だと思っているから学歴は重要なのであり、誰も思わなくなれば学歴は重要ではなくなるのです。

 本心ではみんな、学歴主義なんて放棄したいと思っています。真剣に学歴の優秀性を信じている者などごくわずかで、多くの人たちは学歴主義のデメリットに気づいています。でも、周りはみんな信じていると思って、必死に目を瞑って受験勉強をしている、あるいはしてきたのです。

 確かに、あなた一人が学歴主義を放棄したところで、社会全体に対しては微々たるものかもしれない。でも、学歴主義に疑問を覚え始めてきたあなたの友人たちがあなたに賛同して放棄すれば、さらにあなたの友人の友人も賛同するかもしれない。社会とは結局個人の集合体に過ぎないのですから、こうして反学歴主義の輪が広がっていけば、社会から学歴主義が消える日は近いでしょう。

 ここで強調しておきたいのは、学歴の能力を図るものさしとしての有用性の性質です。第一節で述べたように、学歴主義は大学のブラックボックス化と密接に結びついています。優れた大学を出た人物は優れているというイメージがあるわけです。

 しかし、あなたが学歴主義を放棄して、劣った大学を出たとしたらどうなるか?周りの人はおそらく、学歴に反して優れているあなたの能力を見て、学歴というものさしを疑うでしょう。あなただけでなく、どんどん周りの人たちも学歴に反した活躍を見せることになれば、どんどん学歴の有用性は疑わしくなるでしょう。そうすると学歴主義の圧力は弱まる。さらに優秀な人材が低い学歴から登場する。こうしてあなたの決断を元に、加速度的に学歴主義は崩壊していくのです。

 だから、学歴主義を倒したいとあなたが思ったとき、あなたが優れていると思うのだったら、低い大学に入ればいいのです。それは学歴主義への抵抗になります。逆に自分より頭が悪いようにしか見えない人が高い大学に入っても、それはむしろ喜ばしいことなのです。学歴というものさしに、また一つ傷が刻まれたのです。

 周りはあなたに学歴を誇ってくるでしょう。それに関心を向けないあなたを愚かだと笑うでしょう。しかし人間は、あらゆる暴力をもってしても、あなたの心に宿る反学歴主義の炎を消すことはできない。あなたが学歴主義を冷笑しつづける限り、学歴主義は完全たりえないのです。

 さあ、落ちよう。それは学歴支配への非暴力不服従運動になる。*7 *8

*1:赤松健ラブひな』14巻参照のこと。ラブひなは劇薬。

*2:例として、医学部を目指して二浪していたボスザルが、ついうっかり私大医学部の合格報告をしたためにフォロワーが激減した例が挙げられます。そのサルは私大を蹴ることによってなんとか威厳の回復を図りましたが、二度と彼のフォロワーが戻ってくることは無かったといいます。

*3:私は普段車に乗りながら画面や本を読むと一瞬で酔う体質なのですが、京都のバスは渋滞でほぼ停止した状態なので酔うことはありませんでした。

*4:私に指定席に乗る権利などありません。

*5:英訳は筆者注

*6:ただ個人的には担任教師は物理的に破壊されてほしい。

*7:政経も蹴ろう。

*8:2016/3/9追記:京都大学文学部、無事に合格しました。学歴主義最高w

入稿アドベンチャー v1.5

 去年の文化祭展示に出し、一年経て今年の文化祭にもバージョンアップして出した「入稿アドベンチャー」。いじってたらまた楽しくなっちゃったのでアップデートしちゃいました。

 

 クリスマスプレゼントということでお一つどうぞ!

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たのしくなっちゃったのでプレイ動画っぽいのも作りました

www.youtube.com

主な変更点

  • 全体的に効果音がつきました
  • BGMも一部変わってます
  • 明らかにクリアできないステージを修正しました
  • よりソフトに、よりカオスに
  • その他細かい点変更

 感想等ございましたら作者のツイッターにまでお寄せください。鍵垢ですがリクエストくださればすぐに承認致します。それでは!

重大発表三篇

 このブログを立ち上げてからおよそ二週間、書かれた記事は五記事、文字数はだいたい二万文字くらい[要出典]。私の乏しい思想は枯渇し、思考能力は錆び付き、言語能力は枯れ果ててしまいました*1が、実はブログを開設した当初、どうしても伝えたかったメッセージがあと一つだけ残されています。

 その事実は、口頭で説明するにはあまりに重篤で衝撃的です。他の人に盗み聞きされる可能性も排除できません。ですから、私はこうしてブログを開設し、そのタイトルをシュルレアリズム的手法を用いて意味不明にし、親しい(というよりおそらく何を言ってもこれ以上失望されることのない)ごく一握りの友人*2にだけそのURIを明かすという方式を採って、インターネット上に文章を投げかけることで、その事実を幾許か間接的に伝えるのが一番だと思いました。

 そうは言うもののやはり、その事実は容易に書けるものではありませんでした。いや、表現の難しい事態なのではありません。端的に一文で表現できるものです。さして珍しい事実でもありません。『人退』風に言うのであれば、「ブログ作り成功の影に潜むさして意外でもない真相」*3です。でも、なんというか、その事実を公開することで、何か大きな変化が起こりそうで怖かったのです。

 というわけで、今までの記事にはストレートにそのまま書くことはできませんでしたが、それでもその事実に誰かは気づいてくれるだろうと思いました。書かれた記事の内容や表現によってではなく、私の「書く」という行為そのものによって、皆さんがメタ的に理解してくれると信じていたのです。しかし、現実でもツイッターでも、寄せられた感想*4にはそれに気づいた兆候が見られませんでした。

 もう一度言います。端的に一文で表現できる、極めて単純明快な、そして常識の範囲内の出来事です。推測できるだろうと信じてきました。ここにさらに進んだヒントを書き記します。

  • 私はブログをのべ十数時間かけて書いている
  • この記事群が書かれているのは、センター試験の70~50日前のことである
  • 本気で志望している大学があるのならば、受験直前期にこんなブログを書くという無益な行為はすべきではない
  • 私がブログを書いているという現象が真に存在するのならば、即ち私は受験勉強する必要が無い状態にあるということに他ならない

 ここまで書けば賢明な読者諸君は私の言わんとした事の真髄に遠からず到達したとみて問題ないだろう。せっせと稼いだ評定を用いて、私は指定校推薦を用いて某W大学の政治経済学部への進学を決定していたのである。もう勉強する必要など無かったのだ。よって私はこうして今ブログを書いているのである。

 

*  *  *

 

 ブログの編集画面を開いたら上のような怪文書が残っていました。おそらくいつかの平日に書いて放置してあった下書きと思われます。なんだか読み返してたら切なくなってきたので、こうしてイントロとして引用させていただく次第であります。

 

 前回までのあらすじ
 理性ちゃんは殺人衝動を抱えたごく普通の女の子。あるときついに感情くんを殺してしまい、夢叶って東京拘置所に収容されたが、「やる気」による幻覚のなかで殺されたはずの感情と再会したため、かえって罪悪感へと苦しむようになってしまい……?

 

 理性の収容されている雑居房には、他にも三人の女性がいる。拘置所側の配慮なのか、皆年齢は理性と同じか、あるいは少し上という二十代であり、共通の話題も多かったため、それなりに話が弾まないわけではなかった。

 もちろん彼女たちの共通の話題というのは、犯した罪についてのことではない。なぜ自分たちがここに収容されているのかということについては、頑なに口を閉ざしているというわけではなくとも、自分自身から話すようなこともなかったし、どれだけ親しくても逆に他人に尋ねることもなかった。それはなんとなく、彼女たちなりの共通理解、デリカシーのようなものだったのだろう。聞きたいことはたくさんあったし、言いたいこともたくさんあった。愚痴を漏らしたくなるような辛い思いなら沢山してきた。でも、それを言い合い始めたら、目を向けたい何かにまで向けなきゃいけなくなるから。だから、彼女たちは違う別の話題へと目を背けるのだ。

 しかし理性はその監房の中で、壁に向かってしゃがみこんで座っていた。目はくっきりと開いていたが、視界は灰色の壁を映すばかりで、意味があって動くものは何一つない。アトランダムな壁の傷がその全てだった。他の同居人たちは、彼女が一人きりのトリップを経験してからどこか態度がおかしくなったと聞いていた。

「リセ」背後から一人の同居人の声が聞こえた。「遊ぼうよ。ね?」

「……」理性は振り返った。彼女はここでそう呼ばれていた。

「また、新しいの持ってきたから。やる気、吸おう?」既に部屋には大学のパンフレット群がうず高く積み上げられていた。一番上には東京大学の表紙が光っている。今日のトリップはすごく強烈なものになるに違いない、と思うと、ほとんど無意識のうちに予期せぬ期待の笑みが理性の顔を覆っていた。

「さあ」同居人はマッチを箱から取り出し、数回擦って点火しようとしていた。その動くマッチ棒の先を見つめる。すると理性の心に理性が戻ってきた。

「ごめん」勇気を振り絞って、彼女は小声で言った。「今日は、いい」

「えっ?」同居人の手が止まった。ちょうど火をつけるのに成功していた。二本の指の間のマッチの柄を、小さな炎がちろちろと焦がしていた。

「私、トイレ言ってくるから。一人で楽しんでて」理性はそう言って立ち上がり、上がり始めたやる気から離れていった。同居人はそれを、狐につまされたかのように茫然と眺めていた。

 

 東京地裁、刑事17部法廷はいよいよ大詰めだった。原告側の弁論が終わり、今は被告側の最終弁論の段で例の弁護士がつらつらと話している。裁判員にアピールするかのように、時折原稿台から離れて歩き回りながら、芝居がかった身振りで内側の自信を示しているが、完璧に話す内容を覚えているわけではないらしく、片手に持った原稿をちょくちょく確認しながら話をしているのでどうも決まりが悪い。

 彼の主張は前に確認したものと変わらない。感情から度重なる精神的嫌がらせを受けていた理性は、ついに逆上して彼を殺してしまった。ついカッとなっての行動だったが、冷静になった今は反省している。それが真っ赤な嘘だということを知りながら、弁護士はその主張を自信満々に繰り返したし、理性も同様の陳述を行っていた。トリップの中で感情の幻覚を見るまでは。

 あれ以来、彼女がやる気を吸うことは無くなったし、それを楽しむ同居人たちとも少し距離を置いて、理性は中公クラシックスの哲学書を注文しては読むことを繰り返した。初めは看守には自分の心の支えになりそうなものなら何でもいいと言ったのだが、その人が持ってきたのはマルクス、レーニン、北一輝といった人々の新訳本で、次からは別の人に依頼した。その人が持ってくるのはどれも難解な哲学書であったが、善とは何か、罪とは何かという普段興味の無かったテーマは、今の理性には我が事のように思われて、自然読むのは苦痛でなくなっていた。

 その中で最も彼女が食い入るように読んだ問いは、「嘘は悪か」というものだった。カントは無条件に悪だと言い、ベンサムは結果として良ければ善だと言い、フロイトは性欲だと言った。フロイトの著作をやる気を焚く炎にくべながら、理性はどちらの言うことがより正しいのか考えていた。以前はベンサムの言うことのほうがより正しいような気がしていた。嘘を言ったところで、誰も傷つかないならそれでいい。そう思っていた。

 しかし、と彼女は思う。私は自分の殺人を正当化するために嘘をついて、感情を一方的に悪い人間に仕立て上げてきた。誰も傷つかないからいいだろうと思って特に何も葛藤せずに選んだ選択肢だったが、あの幻影の中に見た彼の優しさと、それに触れたとき私に流れた涙はいったい何だったのだろうか?

 思い悩んでいるうちに、弁護士の嘘八百の弁論が終わった。次は理性の最終陳述だ。打ち合わせでは、ここで彼女は後悔の涙を流し、情状酌量を狙って刑を下げるつもりだった。原告の求刑は無期懲役。対してこちらは懲役十二年と目論んでいた。もちろん、量刑相場でいえば最低でも二十年は覚悟しなければならない罪状だったが、裁判員の心を動かせば相場などあってないようなものだったし、今のところ理性はうまくやれていた。一日だけ例のキャミソールも着ていた。その日は裁判官の食いつきが良かった。

「それでは、被告人、理性の最終弁論をお願いします」その裁判官が彼女を真っ直ぐに見据えて言った。それで彼女は被告席から立ち上がり、原稿台に向かって歩み始めた。歩きながら、理性の頭には何も思い浮かばなかった。何を話すべきか?あんなに何度も入念に打ち合わせをしたはずなのに、なぜかこの場では、言葉は容易に出てこなかった。

 法廷を見回し、何人かの裁判員とちらりと目を合わせながらも、それでも何一つ言葉は浮かんでこなかった。頭の中がごちゃごちゃとして、まとまらない。何を、いったい何を話せばいいのだろうか?

「えー……」ほとんど無意識に、彼女の意思とは関係なしに、彼女の声が法廷に響き渡った。「私は謝らなければなりません」

 予定とは違う出だしに、被告側の弁護士が咳払いをするのが聞こえた。

「それは……天国にいる感情さんに対して、とかではなく……こんな茶番に数十日も付き合わせてしまった弁護士さん、検察官の皆さん、そして裁判員、裁判官の皆さんに対してです」

 裁判員のほうから小さく息を呑む音がした。一度話し始めてしまうと、堰を切ったように言葉は次から次へと流れ出てきた。

「感情さんには特に悪い印象は抱いていませんでした。そもそも会ってまだ数日しか経っていませんでしたし、あらゆる面において彼から嫌がらせをされることはありませんでした」

私が彼を殺したのはだから、嫌がらせに耐えかねてなんてことでは決してなく、単に前から人を殺してみたいと思っていたのが、つい、ひょんな言い争いから出てきてしまったものだったんです。その議論では何を言い争っていたのか、ということすら私は覚えていません」

「私は人を殺してみたいと思っていました。よく嫌いな人を殺す妄想をしました。嫌なことがあるとスプラッタ映画を借りてきて見たりもしました。先天的なものか、後天的なものかは分かりませんが、人を殺す、ということに関しては、ニュースで聞くだけでも一種の興奮を覚えましたし、実際に殺したいと思うようになる前、ほんの子供の頃から、人が殺されるところを見てみたいとは思っていました」

「なぜ結果的に彼が選ばれたのかは分かりません。一つだけ言えるのは、この殺人において、彼の落ち度というのは全く存在せず、彼は純粋な被害者であって、私は純粋な加害者だということです。おそらくですが、私の心の中にストレスのゲージのようなものがあって、それが限界にまで到達したとき、たまたま目の前にいたのが感情さんだったんだと思います。ですから、彼は悪くない。私が悪いんです」

「私が故意に、かつ何の罪悪感も持たず、自分が楽しむためだけに無実の彼を殺したんです」

 こうして一気にまくし立てると、周囲を沈黙が覆った。向けられていた驚きの視線を避けるかのように、彼女は顔を下に俯けて被告席へと帰っていった。椅子を引いて、彼女が着席する低い音が響くと、再度の一瞬の静寂のあと、ざあざあと動揺の声が響いていった。

 普段は喧噪を諌めるべき立場であるはずの裁判長すら、数分はこの動揺の中で何も発言せず、ただ困惑の表情を浮かべたのちに、形式上まだ発言権の残されているはずの被告席に休廷を求めるか尋ねた。同意の声をあげようとした弁護人を制して、理性は黙って首を横に振った。そして閉廷を宣言する裁判長の声を聞いた。

 

 理性は二人の看守ともう一人の女囚と一緒に護送車に乗って、栃木刑務所への一時間の旅に揺られていた。下された判決は懲役二十八年。なぜ求刑より軽い有期刑が下されたのか、理性は誰かに尋ねたい気分でいたが、多数決の結果なのだから考えても仕方が無い、と思って、素直にその長い、しかし覚悟していたよりは短い年月について、漠然と思いを馳せていた。

 二十八年、出てくるときにはきっと中年と呼ばれる時代すら終わりを迎えて、私は壮年期に入りかけのような状態で出てくることになるだろう。でもまあ、刑務所に入っていた人間は、健康的な食事や運動、規則正しい生活をしているがために、外の人間よりも老化は遅いと聞いたことがある。それにまあ、時間がたくさんあるならば、暇な時間は色々な中公クラシックスを読めばいい。どうせ今のこの晴れやかな気持ちは短期的なもので、また年を重ねるごとに辛くなっていくんだろうけど、最初から嘘をついた悶々とした気持ちで入るよりは、きっと良い人間関係も築けることだろう。

 車窓は塞がれていて、中から自分がどこにいるかはさっきまで分からなかったが、料金所の機械の、聞き覚えのある効果音が響いたので、それで高速道路に入ったらしいということが分かった。車はそれから急発進し、ほとんどブレーキの気配がないまま、道なりに運転を進めている。

 隣にいたもう一人の女囚は、良く見ると一緒にやる気を吸っていた雑居房の同居人だった。こちらが見たのに気づいたのか、彼女は振り向いて理性のほうを見た。

「これから長いだろうね」彼女が言った。

「そうですね」理性は答えた。車は車線変更をして、一番外側のレーンに乗った。

「でもまあ」そのレーンは追越車線。理性はふっと笑った。

「案外短いかもしれませんよ?」

 護送車は森の間に引かれた幹線道路を、真っ直ぐに走っていった。

 

*  *  *

 

 理性と感情の話、ようやくこれで終わりです。さて、タイトルの通り、この記事には重大発表が三つあるはずなのですが、あと一つはいったい何なのでしょう?

 端的に一文で表現できる、極めて単純明快な、そして常識の範囲内の出来事です。そしてそれは、むしろ私がここで記述するほうが重篤で衝撃的な内容です。そう思ってくれていればいいんですけど。

 私としましては、それを明示的に記述するよりも、この記事の上のほうを読み直して、なんとなく理解していただいて、そしてメタ的に確認してもらいたいような気がします。

 ここまで書けば、賢明な読者諸君は私の言わんとした事の真髄に遠からず到達したとみて問題ないだろう。そういうことで、次の記事でお会いしましょう。本当にこれっきり、ということは絶対に無い予定です。

 

*1:この並列構造で「枯れる」系の表現が重複して出てきていることからも明らかです。

*2:この文の解釈においてそもそもの「友人」がごく一握りという捉え方は許容されます。

*3:人類は衰退しました 平常運転』収録「村起こし成功の影に潜むさして意外でもない真相」より

*4:「お前のブログを読むと、なんだかこそばゆくなる」等

今を生きるためのバズワード!「学歴主義の内面化」とは?

 800万クローナ。日本円に直すとおよそ1.13億(2015年7月現在)。何の金額か分かりますか。

 そう、ノーベル賞受賞者ノーベル財団から贈与される賞金の額ですね。

 私があと数年でノーベル賞を受賞し、この金額を貰えることを考えると、やはり心が躍るのをどうしても抑えきれません。ノーベル賞を辞退するという高潔で俗世離れした行為に憧れを抱かないこともないのですが、それでもやはりお金は大切です。

 なぜ私がそんな世界的な賞を戴くことが内定しているのか。答えは簡単です。私がこの記事を世に公表した際には、ピケティをも超える激しい衝撃と賞賛を社会にもたらし、一躍私は時代の風雲児、ちまちまとした賞を受賞し、各国を遊説して講演会でお金を稼ぎながら、スウェーデンへもその名を広め、ノーベル社会学賞の受賞者リストに名を連ねることが確実だからです。

 あれ、でもそういえば、ノーベル賞の一部の部門ノルウェーで選定を行うんでしたよね。社会学賞はどっちでやるんだったっけ。検索してみよう……ノーベル賞……選定地……。

 物理学、化学、医学、文学、経済学賞はスウェーデン、平和賞はノルウェーで選定するんですね。なるほどなるほど。以上6部門の……受賞者には……賞金の小切手、賞状、メダルが……それぞれ贈られる……。なるほど。何か抜けているような……いや、なるほど、そういうことか。

 ノーベル社会学賞、存在しなかったんですね。

 

 前回までのあらすじ
 理性ちゃんは殺人衝動を抱えたごく普通の女の子だったが、あるとき勢い余って感情くんを殺してしまう
 すぐに警察に逮捕され、東京拘置所のある雑居房に収容されていた彼女は、「やる気」を吸引してのトリップに夢中になってしまい……?

 

 「わぁい、ぷかぷか~~!お空を飛ぶのって楽し~い!」

 もう何度目のことでしょうか。今日も理性は青いお空を飛んでいました。雲になったみたいに浮かんでいるのは、日頃閉じ込められている拘置所の暗く狭い雑居房にいるのに比べて、遥かに明るく愉快な体験で、それゆえ理性はすっかりやる気の虜になっていました。

「あそこにいるのはウミガメさんで、あんなところにはイワシの大群!こんにちはイワシさ~ん!!」

 やる気の幻覚効果は凄まじいものでした。すべてが混沌として無秩序である幻覚の世界は、しかし現実よりも遥かに鮮やかで魅力に溢れていたのです。

 「あれ?あのいちご色の雲の隣に浮かんでるのは誰だろう?」

 理性は優雅に回転しながらその人の傍へと漂っていきました。するとそこにいたのは、どこか見覚えのあるような少年で――

「感、情……?」理性の表情から笑みが消えました。

 

「理性ちゃん、久しぶりだけど、今まで元気にしてた?」感情は何気ない声色で訊きました。

「感情……あんた……でも、私、あなたのこと殺したんじゃなかったっけ……」目の前にあるものが信じられない。それが理性の率直な思いでした。

「そう。でもね、復活したんだ」

「復活?」

「よく思い出して。感情ちゃんは、どうして、空を飛んでいるのかな?」感情は諭すように訊ねました。

「それは……」理性ははるか下の地平を見ながら考えます。ぷかぷかとしていた思考が、徐々に形を伴ってはたらき始めました。「そうだ、私、やる気を吸って……」

「そう。ここは君の幻覚の中。だから死んだ人が蘇ってもいいんだよ」

「……!」都合の良い解釈、現実離れした幻覚。そう言ってしまえば簡単でしょう。でも、例えこれが現実の世界で無かったとしても、生きている感情の姿を見られたという体験は、彼女の罪悪感と自己嫌悪に苦しんだ心を癒していきました。理性は知らず知らずのうちに涙を零していました。人生で今まで一度も流したことのなかった嬉し涙。いや、これは純粋な嬉し涙というわけではなく、ただ、今まで溜め込んできた思いが、一気に彼の幻像に触れて溢れ出しただけ。感情に見られないように、そっと手を頬にあてて隠そうとしました。するとその手首を握る感触があり、目を開くと――

「隠す必要は無いよ、理性ちゃん。今まで、本当に辛かったんだよね」感情の優しげな表情が視界を埋め尽くしていました。彼は理性の目をまっすぐに見つめていました。「もう、自分を責めないでもいいんだよ」

「……っ!」理性の涙は零れ落ちる滴から、滝のような流れへと激しくなっていきました。どうして。どうして許してくれるの。私はあなたを殺してしまったというのに――痛くて、苦しくてしょうがなかったはずなのに、どうして――。

 泣き崩れる彼女を、感情は慈愛に満ちた表情で見守っていました。彼女の嗚咽が収まって、やがてただうずくまって涙を流しているだけになったので、彼はその髪の毛をやさしく撫ぜてあげました。そのたびに、彼女が肩の力を抜き、幸せそうに表情を緩めるのを感じました。現実でなくてもいい。幻覚でもいい。彼女の気持ちの整理がつくまで、ずっとそうしているつもりでした。

 

1.進学校における学歴意識の変遷 ――スクールカーストから考える――

感情「それじゃあ、今日は学歴主義の内面化について説明しよう」

理性「え、あれ?今までの流れは?」

感情「残念ながらもう茶番にかけている時間は無いんだ。分かりやすさを重視するために、本編ではこうしてト書きみたいなスタイルを導入することになったんだけど、作者のプライドがそれを阻んだから、導入にああいう寸劇を入れることで作者の文章力を誇示しようとしただけの話だったんだね」

理性「なるほど……」

感情「ところで今日のテーマの学歴主義の内面化。これはいわゆる進学校に属する中高一貫校に通う受験生の内面を阻む現代の闇なんだ」

理性「闇」

感情「そう、闇。進学校と言われる中高一貫校は、入学した当初はみんな勉強のことしか頭に無いようなお坊ちゃん状態なんだけど、学年が中二、中三と上がっていくにつれ様々な方面で自己実現の欲求が芽生え始めるんだ。特に文化部に入った人は、中二病なんてもんじゃない、もっとリアルな痛ましい事故をこの過程で遂げるようになる」

理性「そうなんですか?」

感情「そう」

理性「具体例を挙げて説明し

感情「黙れ。殺すぞ」

理性「」

感情「さて、誰しも中学に入ったときは何らかの部活に入る。その中であえて文化部に入った人は、部に通い続けることができれば、その中身が自分から進んでやる趣味になっていくんだ。もちろん、部活に入っていなくても文化的な趣味は見つけられるんだけどね。ともかく、自分とマッチしたやってて楽しい趣味を見つけると、徐々に本業である勉強は疎かになっていって、趣味のほうに熱中していく人が増えていくんだ」

理性「なるほど」

感情「うん。当然の帰結だね。そうすると、そういう人たちは中学受験の頃に漠然と抱いていた学歴という概念は完全に忘却して、学歴なんて必要ない、おれには趣味がある、他の人とは違う、という気持ちが徐々に生じてくるんだ。こうして徐々に他の運動部の人たちとの間に意識の差が開いていく」

理性「なるほど。運動部の人たちは学歴意識が薄れたりしないんですか?」

感情「友達に運動部出身の人がいないからよく分からないよ」

理性「ああ」

感情「でもまあ、彼らの一年間の行動実績を見ている限り、学歴意識は相当強く持っているんじゃないかな。向上心の結果だと思うから全くそれを批判する意図は無い。ここで言っておくけど、この記事では学歴主義それ自体は批判しない。この記事で問題になるのは、高二くらいまで勉学や成績のことから目を背けてきた趣味人たちの心のことなんだ」 

2.趣味共同体の崩壊、そして学歴主義との接触

感情「高2の文化祭。ここで今まで趣味を通じて分かり合えていた共同体は一気に崩壊する。崩壊するんだ」

理性「崩壊」

感情「そう、崩壊。文化祭終了後、引退を宣言するような連中が現れ始めるんだ。そういった連中は何をしはじめると思う?」

理性「受験勉強」

感情「正解だ。いや、彼らが悪いんじゃないんだ。保護者がどういう意見を持つかで彼らの行動は規制を受けるからね。自然、今まで隣にいた同志が受験勉強のために抜けたという事実は残っている趣味人の心境に大きな影響を与える。

感情「彼らの心の中には、まだ中学校の頃の延長の、おれは勉強なんてしなくても、という思いが残されている。当然だよね。高校生くらいになって、既存の技術を無理なく使いこなせるようになった頃が、一番自己表現が自在に出来るようになって楽しいんだ。それなのに、勉強なんて全くする気にもならない。だから、抜けたような人の気持ちは良く理解できないんだ。

感情「でも、1月頃になると、教室では教師のみならず生徒同士まで受験の話をし始めるようになる。なぜか一年前のセンター同日体験を9割以上の生徒が受けに行く。終わったらその点数を比較しあう営みが行われる。そして2月、3月、もう学年で受験以外の話をする人なんて誰一人いなくなっているんだ」

理性「怖いですね……」

感情「怖い。すごく怖い。特に運動部の人たちは、その競争原理を受験に直接輸入してくる。それを批判するつもりは無いよ。ただ、その会話を耳に挟んだときの、受ける衝撃、恐怖、あれはどれほどのものか」

理性「なるほど……」

感情「なぜかツイッターに模試の自己採点結果を流すクソ野郎*1もいるしな。そういう状況の中で、学歴なんて関係ない、進学先なんて興味ないという人の心も少しずつ変革を迫られていくんだ」

3.学歴主義の「輸入」、すなわち内面化

感情「高三の四月。務めていた役職の任期も満了すると、さすがに部活は引退せざるをえなくなる。そして、受験に向き合わせられる」

理性「向き合わせられる」

感情「受験校選定。学校で何個か模試を受けさせられてて、その結果は既に受け取っているから、それを参照しながら吟味を重ねることになる。だけどね、やっぱり、六年間地道にやってきて、留年用件について少しでもその可能性から目を背けるために条文解釈を行ってきたような経験の無い運動部の人との間には、もうどうしようもない差ができてしまっているんだ。初めて受験と向き合わされてきたとき、元趣味人はそれに否応無く気づかされるんだ」

理性「気づかされるめう……」

感情「今まで学歴なんてどうでもいいと思ってた。だから、進学先もどこでも構わない。そう思って、彼らは実際高望みをしない選択肢を選ぼうとする。だけどね、そうすると、今まで聞き流してきた周りの人の会話が頭の奥底から呼びかけてくるんだよ」

理性「やっためう!すごいめう!」

感情「『お前どこ?』『文III。お前は?』『文I文IIIって実際どうなの?入りやすいっては聞くけど……』という会話。『え?お前東大志望じゃないの?』『うん、そう。阪大』『へーそうなんだ、なんか手堅く決めてくるって感じだな』という会話。

感情「こういった環境の中で、志望校決定をする……実力相応校、あるいは本当に雰囲気があってて行きたい学校を選んだら、周りの人から何と言われるのか。そういうことが本当に気になってしょうがなくなる。学部を選ぶときに、どうしても偏差値表の中での位置を確認して、あまりに低いと上の学部へと変えてしまう……皮肉なものだよね。他の人たちが馬鹿にしてくるかもしれない。そういう恐れを抱き始めた結果、学歴なんて関係ない、って思ってた人たちの中に、学歴主義が輸入されてしまうんだ」

理性「あーめう……」

感情「国語便覧とかを見て、今まで全く気にならなかった出身大学の項を見る。早稲田、京都、そういう『東大でない』大学出身の人を見ると、ああ、この人も大したことなかったんだな、って無意識に決め付けてしまうんだ。本当に恐ろしい病だよ」

4.定義

感情「こういう後になってからの学歴主義の内面化というのは大抵取り返しがつかない。それが一番怖いんだ」

理性「どうしてですか?」

感情「時期が遅すぎたんだ。最初から学歴主義に沿って生きていれば、継続的な努力もできたかもしれない。しかし、後の祭りと言うとおり、今から必死にやったところで、東京大学への合格は適わない。そして大抵の場合、学歴主義の内面化は学歴コンプレックスへとダイレクトに移行するんだ。もちろんこれは医学的に認められた立派な精神疾患*2ここで精神病理の国際的定義集、『精神障害の診断と統計マニュアル 第5版(DSM-V)』を見てみよう」

学歴コンプレックス Gakureki Complex

自分と他者の学歴を比較することにより、日常生活に支障をきたす水準の重篤な精神的苦痛を受けている状態。
特に、

  • 他者の些細な言動を、学歴による差別、あるいはそれが原因として捉える。
  • 自ずから無意識のうちに他者と学歴を比較し劣等感を覚える。
  • 学歴の伴わない自分のこれからの行動に価値を見出せず、無気力状態が続く。

のうち少なくとも2つを満たす状態。*3

理性「うっ……」

感情「これに当てはまるのは対処が必要な水準の人だけだから、さすがに文言も物々しいけど、学歴主義の内面化が進行すると、少なからず人はこういう精神状態に陥るんだ。特に注目して欲しいのは(c)で、仮にその人が真面目にやれば早慶に受かるような実力があった場合でも、『東大と較べたら……』とやる気を失ってしまう場合がある。これこそが現代の闇と言われる所以なんだ」

5.対策

理性「対処法はないんですか?」

感情「それが分かったらこんなこじらせた文章書いてない」

 そう言って、感情は上のほうへと浮かんでいきました。彼の顔は晴れやかでした。すべてを知り、すべてを受け入れ、すべてを諦めた人の顔。それを見上げていました。何となく手を振りたくなったので、手を振って見送りました。

「さようなら、どうかお元気で――」届くか届かないか分からないけど、これが私の最後の挨拶。ゆっくりと下へと沈んでいきながら、理性は決意しました。このトリップが終わったら私は元の雑居房の中。でももう、まやかしのやる気に頼るのはやめよう、と。彼が全てを受け入れたように、私も現実を受け入れなければならない。きっと彼はそれが伝えたかったのだろうと思いました。ゆっくりと、ゆっくりと沈んでいきました。

*1:本当にすいませんでした。

*2:違います。

*3:この引用は虚偽のものです

やる気とはなにか

※理性が逮捕された理由については過去記事を参照してください。

 東京拘置所は日本最大の拘置所だ。天へと屹立する中央監視塔には、拘禁者の暮らす独房や雑居房のある二棟の収容棟が左右対称に建っており、その地下には死刑を執行する刑場が沈黙している。初めに訪れるときは誰でもえもいわれぬ恐怖を覚えるというが、日常的に通うことが仕事である者にとっては、あるいはそこに四六時中居ついている者にとっては、その恐怖は漫然として薄れていくものだった。受験生が迫り来る不合格についてどこか客観視し始められるように、誰でも恐怖の懐柔は行えるものなのである。

 二人の年老いた女性看守に半ば強引に引っ張られながら、理性はもう何度目かの廊下を進んでいた。老朽化の進む収容棟のそれと違って、監視塔――本来の名前は監視棟だが、塔と呼ぶのが彼女は好きだった――の照明は明るく暖かだ。窓ガラスも収容棟のように分厚く曇ってはおらず、外の風景はクリアに、ダイレクトに目に入ってくる。ここに来てはや一年。判決を言い渡される日がすぐそこに来ているのは確かに恐ろしいが、しかしそれで一旦この息の詰まる環境を変えられると考えてしまうと、少し楽しみな気持ちを覚えずにはいられなかった。いつからか受験生が迫り来る受験日を迎え入れ始めるように。

 二人の看守がある扉の前で止まって、何やらカードを取り出して機械にかざし、短く高い電子音をかき消すように扉を開けた。中は何度も見た面会室。殺風景をかき消すために改装工事が行われ、壁面は木目調の温かさをこぼし、同じく木目のテーブルの端に置かれたユリは鮮やかに白く咲いていた。ここの設備は中に入れば杜撰なることこの上ないというのに、外から見えるところは綺麗で明るい。自分が中に入ることは絶対に無いから、外から見に来る人はそれだけを見せられて満足げに帰っていく。まさしく受験生の通っている中高一貫校のような状況だった。

 しかしそれでも、こちらと向こう側を隔てる一枚のガラスだけは、その透明性がはらむテクストのためか、どこか冷たい印象を抱かせるものであった。そして。

「お久しぶりです。ご様子はいかがですか」黒いスーツにこれ見よがしに金色のバッジを輝かせた、小太りの中年男性は、彼女の弁護を担当している国選弁護人だった。

 

「久しぶりじゃないわ。毎日毎日、まるでブログの更新をしているかのように、一々こっちに来やがって。だいたいもうあなたの用件は分かってるわよ。明日から口頭弁論、だから私が言うこと、あなたが言うこと、齟齬が出ないように確認をしましょう、とそういうことよね?」理性はまくし立てた。この小太りの中年弁護士に対して、彼女は本能的な不快感を感じていた。できることならば会うのはこの件で最後にしたかった。

「はい。とはいえ大半はもう予め伝えたとおりのことですが」

「ならもういいわよ」

「いや、そうですか」弁護士は口を開く。「それならば良いですが。裁判員裁判情状酌量に弱いから殺人は仕方なかったという体で攻める。あなたは感情に以前からしつこく嫌がらせを受けていて、セクハラ、マタハラ、学歴自慢、その他あらゆる権利侵害を受けていた。あなたはやめるよう再三口頭で注意した。しかし感情はやめなかった。だからつい――あるときカッとなって殺ってしまった、と」

「ええ」

「しかし前にも伝えましたとおり、死体の損壊状況から見るに相手に対する敵意は相当のものを感じ取られることは避けられません。もちろん殺人罪は認める必要があるのですが、有期刑を望むのだったら、あなたが裁判員に与えるイメージ、印象を良くしていかなければなりません。受験生が親に対して勉強している姿を示すように、上っ面だけは良くしていかなければなりません」

「分かってるわ。ええ。受験生のように理解している」

「そうですか。そこでこの服を」

 弁護士が差し出したのは半袖の白いカーディガンだった。わざとらしいフリルがついている。

「これは?」理性は動揺を隠せなかった。

「潔白性を示すための衣装です」弁護士は臆しもせず言った。「これは初日の衣装ですが、弁論中この類のかわいらしい服を着れば必ず刑は軽くなるでしょう」

「いやいや」

「さあ」弁護士の目の中にあるのは明らかな好奇、好色だった。「いま試しに、着替えてみてください」

 弁護士は持っている服を看守に渡すと、すぐにそれはガラス越しの理性の元へと届いた。目の前のそれを見つめる。

「無理」

「しかし、このままでは勝てませんよ?」

「殺した時点で負けだから」

「なるほど。しかし、私とあなたは二人三脚、いや一心同体のパートナー。ここで何を恥ずかしがることがありましょうか」

「はあ?」明らかに下心を匂わせる物言いに、理性の声が少し大きくなった。弁護士のにやついていた顔がわずかに引き攣った。看守がいまさら息を呑む音がする。それらを認識しながらも、人文学科が廃止の方向で進んでいることもあり、一度暴走した理性は容易には止まらなかった。

「あんたさっきからいったい何を言ってるのよ」静かな面会室に、彼女の昂ぶった声はよく響いた。「殺すわよ」

 

「……」収容棟の二階には女囚の部屋が並んでいる。その一つの雑居房に、独り理性は膝を抱えて座り込んでいた。

 あのあと弁護士は形だけの謝罪を済ませたあと、逃げるようにして帰っていった。当然のことだと思って眺めていた。だって彼女は既にもう一つの命を壊した身なのだから。

「はぁ。今更嘆いたところでしょうがないわ」自嘲気味な笑みを浮かべた理性のその頬には、一筋の涙の零れ落ちた跡があった。「そう、自分で言ったとおり。殺した時点で負けなのよ」

 殺人は前からしてみたいと思っていた。だから殺したときも、そのあとも、警察に連行されていきながらも、理性の心に後悔はない、はずだった。

 しかしその結果が、これほど重く、これほど不可逆的なものだったとは。受験生のような閉塞感に覆われている。

「はぁ」もう一度ため息をついてから、彼女は殺風景な部屋の殺風景なテーブルを見つめた。その高さは低く、テーブルというよりも食卓と呼んだほうが良いような代物だったが、しかし真っ白で無機質なそれには、食卓という言葉の裏にあるどのような暖かさも感じ取ることはできなかった。

 テーブルの上に置かれていたのは、小皿の上のマッチ箱、それから白い薬包紙。その紙の上には黒、あるいは茶色の粉が数ミリグラム積まれていた。

「……」無表情でマッチを擦り、ぼうっと上がった火を粉に付けた。何度かの試行のあと、火は粉に点いてくれた。独特の色をした半透明の煙が上がる。その匂いを嗅いで、理性は微かに歓喜の声を上げる。

 その漂う煙を嗅けば、人はあっという間にハイになれる。陶酔感、高揚感、その他諸々のイケない感覚の、日常に押し込められた蓋を取り外して、刺激的でヴィヴィッドな世界へ自由に飛び上がらせてくれる。

 拘置所に来て雑居房の先輩にこの遊びを教わったときは、本能的な忌避がどうしても初めに来たし、未知に対する臆病な恐怖が彼女を阻んだ。それから半年。徐々に先輩たちに混じってトリップの片鱗を味わっているうちに、彼女は他の誰よりもこの遊びを楽しむ側に回っていた。

 今や漂う煙は単調な暗色を湛えてはいない。さっきから自在に形を変えて運動するそれは、これまで見たことが無いほどとびきりに明るく、とびきりに鮮やかな色だった。否、煙だけではない。壁面、床、ガラス、すべては今や自分だけの意志と気まぐれを持って、コンスタントに飛び回りながら虹色に光り続ける。視界に動かないものは何一つ無い。全てが絶え間なく飛び回り、変化する。空間はにぎやか。どこからか明るく楽しげな調律が響く。これは彼女が瞬きをするのに同期してより早くなっていく。おや、テーブルが浮き始めた。ぐるんぐるん。ぐるんぐるん。体操選手もここまではという複雑で気ままな回転は、やがて自分自身にも及んでいた。

「あははは、あは、あは――」ところで理性は雑居房の外へとふわふわと浮き出ていた。外界のカラスは楽しそうに笑っていた。空が浮かんでいるのか、地面が沈んでいるのか。よく分からないけれど、彼女はより高い位置へとくるくる回転している自分を感じていた。視界に微かに写る地面のビルディングは、頑張ってニョキニョキと生え出ようとしていたけれども、しかし彼女が浮かぶ速度のほうがはるかに大きいから、自然小さくなっていった。うん?いや、そんなことはないな。だってビルディングが地面につき刺さっていることのほうがおかしいわけだ。ほら、私の隣、ビルがびゅんびゅん飛び上がって緑色の月へと向かうよ。あ!行く先に飛行機があった!ビルが飛行機に突っ込んじゃった!

「あはは」理性はそれを見ながら笑っていた。衝突音はゴングの音だった。気づけば彼女は大きな音楽堂の観客席にいた。ステージにいた合唱団が声を揃えて歌う。

「You are a murder! A haha haha!」何を言っているのか分からないけど、その抑揚の中に彼女は落ちていく。沈み込むさきにはホッキョクグマがいた。こんにちは、クマさん!ユーカリの木が代わってお返事をした。「祖母はご壮健であられるかな?」よく分からないけど、私は元気です。なんだかだって幸せだもん。今の自分ならなんでも出来る気がする。

 

 

 ところで、彼女が吸っていた粉は志望校の大学パンフレットである。火が点くと思い焦がれるようになるが、その煙には倒錯的な快感とともに幻覚を引き起こす作用がある気体が含まれ、その名をやる気という。