蛍光色に浮かぶ寿司

colorless white sushis sleep furiously.

やる気とはなにか

※理性が逮捕された理由については過去記事を参照してください。

 東京拘置所は日本最大の拘置所だ。天へと屹立する中央監視塔には、拘禁者の暮らす独房や雑居房のある二棟の収容棟が左右対称に建っており、その地下には死刑を執行する刑場が沈黙している。初めに訪れるときは誰でもえもいわれぬ恐怖を覚えるというが、日常的に通うことが仕事である者にとっては、あるいはそこに四六時中居ついている者にとっては、その恐怖は漫然として薄れていくものだった。受験生が迫り来る不合格についてどこか客観視し始められるように、誰でも恐怖の懐柔は行えるものなのである。

 二人の年老いた女性看守に半ば強引に引っ張られながら、理性はもう何度目かの廊下を進んでいた。老朽化の進む収容棟のそれと違って、監視塔――本来の名前は監視棟だが、塔と呼ぶのが彼女は好きだった――の照明は明るく暖かだ。窓ガラスも収容棟のように分厚く曇ってはおらず、外の風景はクリアに、ダイレクトに目に入ってくる。ここに来てはや一年。判決を言い渡される日がすぐそこに来ているのは確かに恐ろしいが、しかしそれで一旦この息の詰まる環境を変えられると考えてしまうと、少し楽しみな気持ちを覚えずにはいられなかった。いつからか受験生が迫り来る受験日を迎え入れ始めるように。

 二人の看守がある扉の前で止まって、何やらカードを取り出して機械にかざし、短く高い電子音をかき消すように扉を開けた。中は何度も見た面会室。殺風景をかき消すために改装工事が行われ、壁面は木目調の温かさをこぼし、同じく木目のテーブルの端に置かれたユリは鮮やかに白く咲いていた。ここの設備は中に入れば杜撰なることこの上ないというのに、外から見えるところは綺麗で明るい。自分が中に入ることは絶対に無いから、外から見に来る人はそれだけを見せられて満足げに帰っていく。まさしく受験生の通っている中高一貫校のような状況だった。

 しかしそれでも、こちらと向こう側を隔てる一枚のガラスだけは、その透明性がはらむテクストのためか、どこか冷たい印象を抱かせるものであった。そして。

「お久しぶりです。ご様子はいかがですか」黒いスーツにこれ見よがしに金色のバッジを輝かせた、小太りの中年男性は、彼女の弁護を担当している国選弁護人だった。

 

「久しぶりじゃないわ。毎日毎日、まるでブログの更新をしているかのように、一々こっちに来やがって。だいたいもうあなたの用件は分かってるわよ。明日から口頭弁論、だから私が言うこと、あなたが言うこと、齟齬が出ないように確認をしましょう、とそういうことよね?」理性はまくし立てた。この小太りの中年弁護士に対して、彼女は本能的な不快感を感じていた。できることならば会うのはこの件で最後にしたかった。

「はい。とはいえ大半はもう予め伝えたとおりのことですが」

「ならもういいわよ」

「いや、そうですか」弁護士は口を開く。「それならば良いですが。裁判員裁判情状酌量に弱いから殺人は仕方なかったという体で攻める。あなたは感情に以前からしつこく嫌がらせを受けていて、セクハラ、マタハラ、学歴自慢、その他あらゆる権利侵害を受けていた。あなたはやめるよう再三口頭で注意した。しかし感情はやめなかった。だからつい――あるときカッとなって殺ってしまった、と」

「ええ」

「しかし前にも伝えましたとおり、死体の損壊状況から見るに相手に対する敵意は相当のものを感じ取られることは避けられません。もちろん殺人罪は認める必要があるのですが、有期刑を望むのだったら、あなたが裁判員に与えるイメージ、印象を良くしていかなければなりません。受験生が親に対して勉強している姿を示すように、上っ面だけは良くしていかなければなりません」

「分かってるわ。ええ。受験生のように理解している」

「そうですか。そこでこの服を」

 弁護士が差し出したのは半袖の白いカーディガンだった。わざとらしいフリルがついている。

「これは?」理性は動揺を隠せなかった。

「潔白性を示すための衣装です」弁護士は臆しもせず言った。「これは初日の衣装ですが、弁論中この類のかわいらしい服を着れば必ず刑は軽くなるでしょう」

「いやいや」

「さあ」弁護士の目の中にあるのは明らかな好奇、好色だった。「いま試しに、着替えてみてください」

 弁護士は持っている服を看守に渡すと、すぐにそれはガラス越しの理性の元へと届いた。目の前のそれを見つめる。

「無理」

「しかし、このままでは勝てませんよ?」

「殺した時点で負けだから」

「なるほど。しかし、私とあなたは二人三脚、いや一心同体のパートナー。ここで何を恥ずかしがることがありましょうか」

「はあ?」明らかに下心を匂わせる物言いに、理性の声が少し大きくなった。弁護士のにやついていた顔がわずかに引き攣った。看守がいまさら息を呑む音がする。それらを認識しながらも、人文学科が廃止の方向で進んでいることもあり、一度暴走した理性は容易には止まらなかった。

「あんたさっきからいったい何を言ってるのよ」静かな面会室に、彼女の昂ぶった声はよく響いた。「殺すわよ」

 

「……」収容棟の二階には女囚の部屋が並んでいる。その一つの雑居房に、独り理性は膝を抱えて座り込んでいた。

 あのあと弁護士は形だけの謝罪を済ませたあと、逃げるようにして帰っていった。当然のことだと思って眺めていた。だって彼女は既にもう一つの命を壊した身なのだから。

「はぁ。今更嘆いたところでしょうがないわ」自嘲気味な笑みを浮かべた理性のその頬には、一筋の涙の零れ落ちた跡があった。「そう、自分で言ったとおり。殺した時点で負けなのよ」

 殺人は前からしてみたいと思っていた。だから殺したときも、そのあとも、警察に連行されていきながらも、理性の心に後悔はない、はずだった。

 しかしその結果が、これほど重く、これほど不可逆的なものだったとは。受験生のような閉塞感に覆われている。

「はぁ」もう一度ため息をついてから、彼女は殺風景な部屋の殺風景なテーブルを見つめた。その高さは低く、テーブルというよりも食卓と呼んだほうが良いような代物だったが、しかし真っ白で無機質なそれには、食卓という言葉の裏にあるどのような暖かさも感じ取ることはできなかった。

 テーブルの上に置かれていたのは、小皿の上のマッチ箱、それから白い薬包紙。その紙の上には黒、あるいは茶色の粉が数ミリグラム積まれていた。

「……」無表情でマッチを擦り、ぼうっと上がった火を粉に付けた。何度かの試行のあと、火は粉に点いてくれた。独特の色をした半透明の煙が上がる。その匂いを嗅いで、理性は微かに歓喜の声を上げる。

 その漂う煙を嗅けば、人はあっという間にハイになれる。陶酔感、高揚感、その他諸々のイケない感覚の、日常に押し込められた蓋を取り外して、刺激的でヴィヴィッドな世界へ自由に飛び上がらせてくれる。

 拘置所に来て雑居房の先輩にこの遊びを教わったときは、本能的な忌避がどうしても初めに来たし、未知に対する臆病な恐怖が彼女を阻んだ。それから半年。徐々に先輩たちに混じってトリップの片鱗を味わっているうちに、彼女は他の誰よりもこの遊びを楽しむ側に回っていた。

 今や漂う煙は単調な暗色を湛えてはいない。さっきから自在に形を変えて運動するそれは、これまで見たことが無いほどとびきりに明るく、とびきりに鮮やかな色だった。否、煙だけではない。壁面、床、ガラス、すべては今や自分だけの意志と気まぐれを持って、コンスタントに飛び回りながら虹色に光り続ける。視界に動かないものは何一つ無い。全てが絶え間なく飛び回り、変化する。空間はにぎやか。どこからか明るく楽しげな調律が響く。これは彼女が瞬きをするのに同期してより早くなっていく。おや、テーブルが浮き始めた。ぐるんぐるん。ぐるんぐるん。体操選手もここまではという複雑で気ままな回転は、やがて自分自身にも及んでいた。

「あははは、あは、あは――」ところで理性は雑居房の外へとふわふわと浮き出ていた。外界のカラスは楽しそうに笑っていた。空が浮かんでいるのか、地面が沈んでいるのか。よく分からないけれど、彼女はより高い位置へとくるくる回転している自分を感じていた。視界に微かに写る地面のビルディングは、頑張ってニョキニョキと生え出ようとしていたけれども、しかし彼女が浮かぶ速度のほうがはるかに大きいから、自然小さくなっていった。うん?いや、そんなことはないな。だってビルディングが地面につき刺さっていることのほうがおかしいわけだ。ほら、私の隣、ビルがびゅんびゅん飛び上がって緑色の月へと向かうよ。あ!行く先に飛行機があった!ビルが飛行機に突っ込んじゃった!

「あはは」理性はそれを見ながら笑っていた。衝突音はゴングの音だった。気づけば彼女は大きな音楽堂の観客席にいた。ステージにいた合唱団が声を揃えて歌う。

「You are a murder! A haha haha!」何を言っているのか分からないけど、その抑揚の中に彼女は落ちていく。沈み込むさきにはホッキョクグマがいた。こんにちは、クマさん!ユーカリの木が代わってお返事をした。「祖母はご壮健であられるかな?」よく分からないけど、私は元気です。なんだかだって幸せだもん。今の自分ならなんでも出来る気がする。

 

 

 ところで、彼女が吸っていた粉は志望校の大学パンフレットである。火が点くと思い焦がれるようになるが、その煙には倒錯的な快感とともに幻覚を引き起こす作用がある気体が含まれ、その名をやる気という。

自分と著しく異なる政治的主張を隣人が示した際に人はどうあるべきか

 原初状態において、意図しない政治的議論へ巻き込まれないために、人は以下の二原則を遵守すべきである。

 

第一原理

 各人は他人との会話において、政治、あるいは政治的な論争の余地がある話題を挙げてはならない。

第二原理

 ただし、次の二条件を満たす場合に限っては第一原理を適用しなくても構わない。

  a)会話が聞こえる総ての人間が、自分と近しい政治的思想を持っていることが明らかである。
  b)会話が聞こえる総ての人間との間で、これ以上不和が広がることによるリスクが存在しないか考慮に値しないレベルである。

 

 センター試験まであと65日とのことで、そもそもブログを開設することが愚の極みだったのですが、さらに翌日に即更新するという愚挙を犯すことになりました。本当は時間や現実逃避したみのある日曜日の夜に毎週更新という形を取ろうと思っていたのですが、不思議なものです。理性ちゃんが逮捕されたおかげでしょうか。

 さらに更新のネタがポリティカルな話題ということで、絶対にこれ以上書き進めてはいけない気がします。ポリティクスは黒歴史とは切っても切り離せない存在です。ああ、政治。仮に高二の頃「日本史&政治経済」という科目選択をしていたら、僕にとってこれは「日本史&黒歴史」というセットになっていたことでしょう。早稲田大学黒歴史学部。

「ポリティカルな題材だけはやめなさい!」拘置所からの理性の声が聞こえます。彼女は初公判を終えた直後でした。理性が裁きを受ける日が来たのです。

「……」感情は死んでいました。

 とはいえ、予定外に僕がこの記事を書いているのは、日常で予期せぬ出来事に遭遇したからです。

 

 土曜日はいつも午前授業で終わりなのですが、その最後は体育の時間でした。ところで今日における体育の意味とは何なのでしょうか。人の身体は生まれつき平等にはできていないことが明らかであり、人間の短所は矯正するためのものではなく、短所のある人間でも周りと同じように幸せに生きていけるような社会の実現が叫ばれる今日において、その矯正を目的とした体育という授業はいますぐ廃止すべきではないか。そもそも始まりからして健全な兵士の育成のための予備訓練、軍国主義の名残なのであるから。そんなことを考えながら、必死に走る他人たちを眺めます。

 体育とは身体を動かす場所ではないのです。真に熟練した人間にとって、体育とは棒立ちしたまま他人を観察する場。中学生の頃は私も未成熟だったので、必死に教師の見ている前では運動しようとしましたが、今や立派に体育を知り尽くした私。もはや私のすべきことは、静止。ただその境地に至ることが肝要なのです。周囲の躍動とのファンダメンタルな対比。これこそが体育を完成させるコンポジションなのです。

「……」理性は二度目の公判へと向かいます。殺人罪での起訴は地方審では裁判員裁判の対象となりますから、公判前整理手続による迅速な裁判が期待されました。

 そんなコンポジションには僕の他にも数人の仲間がいました。colleagueとも言えますし、companyとも言えます。僕たちは静止しながら会話を持ちました。

 最初は勉強の話、次に受験の話、さらには学歴の話なんかも出てきて、それはもう和やかで愉快な話し合いだったので、私は時折拒絶シグナルを出しながら、話題の転換を図りました。

「ところで民主党が解党するんだって?」

 さあ、政治的話題を出してしまいました。しかし私は記事冒頭に示した政治の二原理を知っていました。*1その場にいたcolleagueたちは自分と近しい政治的思想を持っていることが明らかだった*2うえに、あまり不和になることは考えられませんでした*3

「本当らしい」

「マジかよ。今度の参院選は民主にと思っていたのに」

「どこに入れたらいいんだ」

「終わりだ。55年体制の再来だ」

諸行無常諸法無我

「僕には関係ないね。最初からJCP*4に入れるつもりだったから」

 そこには阿鼻叫喚の地獄絵図が展開されていました。内的で私的な不安に耐えることを欲しない人間は、外的で公的な不安に身を委ねることによって逃避を成立させるのです。

 しかしそのときでした。

「まあ、野党なんていらないと思ってたし、いいんじゃない?」

 聞き覚えのあるその声の主は、全く予期していないある人でした。ここでは彼をAとしましょう。Aは体育には真剣に取り組む方だと思っていたのに、いつの間にか静止運動にアンガージュマンしていたのです。ああ、なんということでしょう、私は結果的に政治二原則を破ってしまったのでした。

 Aは我々の動揺を意に介することもなく訥々と語りました。その落ち着き払った声は我々を畏怖させ、沈黙させるに値するものでした。

「そもそも、野党っていうのは何もしないから――批判だけしているものだから、あれは全く生産的ではないし、存在価値は無い。それというのも、民主党時代の自民党はまだ影の内閣として政権を担う準備を進めていたのだから、建設的な批判というものをできていたのだが、少なくとも現代の野党は――自民党の基盤があまりに強固で堅実なものであるために――まったく与党の正当な政策を歪めて解釈し、ありもしないデメリットを並べ、国民に無用な心配を与えることに終始している。困ったものだと思っていたが、民主党が潰れてくれたのだから、これでもう自民党政権運営を脅かす連中が出ることもないだろう。諸君、喜ばしいことだとは思わないかね?」

 凍てつく風が私たちの間を通り抜けていきました。いつの間にか曇った空は雨を蓄え始めていました。

 

 教室。ロッカーを開けて帰りの準備をします。彼の隣の席は私の座るべき席でした。近寄れません。帰ってきてから着替えるまで、私は彼から政治談議の延長を粛々と聞いていたのです。

「そもそも私は何事につけても批判せずにはいられない批判体質のマスメディアというものを好まぬ。マスメディアはなぜ事実だけを報道するのではなく恣意的な情報操作と引用、学界的価値の著しく低いコメンテエタアなどを用いて間接的な、いや、殆ど露骨な情報操作を行うのか。政治のするものに何であれ意図的に色をつけて放流する。しかもその内容は片方に偏っている。公共の電波を用いておきながら、それを公の批判にしか用いないというのは、嗚呼、何たる愚行か」

「反軍国主義だの平和主義だの掲げておけば解決する国際問題など存在しない。今わが国が抱えている問題の大多数は、憲法によってではなく、血と鉄のみによって解決されるのであります。現実に犯される可能性がある国民の命を、憲法などという紙切れの文言に縛られて守れないなどという事態が起こったときのことを考えても見よ。実にまったく、軍事力を持たないなどという発想は妄信愚昧にも程があろうというものだ」

 彼はこの後も広範な事象に関して言及を続けました。私は聞くしかありません。この人が普通の人ならば私は何も聞かなかったふりをして帰れたことでしょう。しかし彼は隣人として、今まで私の地理的閉鎖状態を救済してくださったのです。

 この方は一切会話の中に受験の話を出さないのです。ところで話は変わりますが、受験とは鮭の産卵のようなものだと思います。鮭の卵に生まれ育ってしまった時点で、絶望的な川上りを強いられるのは当然なのです。東大とはつまり利根川のことでしょう。色々浮かんできちゃったのでこの話はまた後に記事にします。

 彼は産卵について語らない稀少な存在でした。私が休み時間に世界史のソ連史のページを眺めていたとき、彼が世界史クイズを出してきてくれたことの、どれほど嬉しかったことか。その日は東大模試の前日でした。周囲では延々利根川の水温、流速、水質をどう乗り切るかについて話がなされていたのです。そんな鮭の群れから私を救い出し、歴史の奥深さの世界に誘ってくれたのは彼だったのです。それがどうして、どうして。歴史を学んでいるものならば、批判勢力の排除がどのような結果をもたらしたか何十もの実例をもって理解できているはずなのに。そういえば彼がよく「第二次世界大戦①」のページの大日本帝国の最大版図を眺めていたのを思い出しました。彼はそれを理想視していたのでしょうか?軍靴の足音が聞こえる。

 担任が何個かの連絡事項を伝え終えて、帰りの号令をしました。私はお辞儀をしながら、心の内では彼のことについて考えざるをえませんでした。後に聞いたのですが、彼の父親は利根川出身の官僚なのだとか。ああ、そういう、そういう――そういう人なのです、彼は。私は心のうちに一つの落胆を覚えずにはいられませんでした。もう月曜日、彼を見たところで、私は彼を官犬としてしか捉えられなくなるのです。官犬の子は官犬。そういう運命なのです。

 ああ、しかし、冒頭の二原理をもっと忠実に守れていれば、私は隣人にこのような性質を見出さずに済んだのです。私は未だ確固たる答えを見つけることが出来ません。自分と著しく異なる政治的主張を隣人が示した際、人はどうあるべきなのでしょうか?

*1:というより自分で作りました。

*2:安保改正の日は休み時間にワンセグで参院中継を見たりしていました。

*3:クラスに身寄りの無い下部カーストは寛容で緩やかな連合体を形成します。

*4:Japan Communist Party

ブログを開設しました

「ブログを開設するのはやめなさい」善なる声が私に呼びかけました。

 その声が聞こえたのは、私がいつもより早く予備校を抜け出し、内的な興奮を抑えながら帰宅したのち、押入に隠していたラップトップを取り出して起動したときのことでした。

「あなたは今まであまりに多くのブログを作っては黒歴史としてきたわ。何回も開設して、何回も放置して、何回も閉鎖してきた」善なる声は感情を封じたかのような声で言いました。「打ち捨てられたブログの記事を読み返して、復元不可能な形での削除を決断したとき、あなたは過去に書いた記事を読んで何を思いましたか?あなたにとってブログ作りとは、すなわち黒歴史作りだった。やめなさい、ブログを開設するのは」

「いや、開設すべきだ。ゲマインシャフトの中で封殺された思考には吐露するための場所が必要だ」悪なる声は耳元で囁きます。「お前は社会的に極めて特殊な環境下で重圧に押しつぶされながら、極めて一元的な競争を強いられる哀れな弱者だ。風に揺られることも許されず、真っ直ぐに伸びることだけを強制された一本の葦だ。ここで少し斜めに傾かなければならない。そうしなければ足に踏み潰されてしまうから」

 悪の口調は極めてレトリカルでした。対して善の言い分は極めてロジカル。上に目玉焼きを載せたらちょうど良い塩梅のベーコンでした。

 そもそもこの二つの声は二元論的に善悪として対立しているものではないのです。どちらかといえば善は理性、悪は感情です。これも二元論だった気がします。

 ともかく、善の言い分は単純明快。今まで作った数多のブログは全て途中でネタが無くなり、飽き、忘却され、数ヶ月ないしは数年後に友人の言及による再発見を経て、無慈悲でありながら極めて感情的な削除の憂き目に遭ってきた。だから、今度のブログもすぐに黒歴史メンバにインサートされることは間違いない。それならば、最初からオブジェクトを生成するなというわけです。

「自分で書いていることを理解していますか?」善なる声。彼女は理性のエルニーニョ

 悪の言い分は、疲れた。何に?受験戦争に。血を血で洗い、学歴を学歴で洗い、自意識を自意識で洗う醜悪な争いに。理想の自分と現実の自分とを数値比較しながら、かりそめの納得を繰り返して進行していく信仰に。

「レトリカルな表現に無理が生じてきたな」悪なる声。彼は感情のラニーニャ

 ここでエルニーニョの言うことに従えれば、冬も暖かく過ごせそうです。*1

 

「そもそも何を書くつもりなのよ」理性は訊ねます。リセジョです。

「何をって……まあ……」感情は黙りこくってしまいました。そう、悲しきことに、感情豊かな人間は相手のことを気にしてしまうあまり、かえって口数が少なくなって感情に乏しいという評価を受けるのです。コミュニケーションが得意と言ってずけずけ口を挟んでくるのはいつも感情の欠けた人間なのです。そんな人間が成功するのが社会の常。感情は社会に不必要だとでもいうのでしょうか?

「書くことは特に無い。でも、何かを書かなければという思いはある」訥々と呟きます。感情は完全に自分に酔っていました。

「はあ?何それ意味分かんない、伝えたいものが無いのに文章書くなんて無駄じゃない!なんでそんな馬鹿みたいなことばかりするの?死んだほうがマシなんじゃない?」徐々に理性の性格が作者の性癖の影響を受け始めました。性癖を性的嗜好という意味で使うのは全くの誤用なんですが、いいじゃないですかそんなこと。言葉の乱れなんて言って言語の自然な変化を故意に妨げようとする国語学者が一番言語を乱してるんですよ。

「何かを書きたいんだ。それが僕の欲求」

「うるさい死ね」理性は感情の胸にナイフを刺しました。それで終わりでした。とくとくと流れ出る鮮血。血と臓物の匂い。焦点の定まらない目で、感情は最期の言葉を紡ごうとしました。

「……ぼ……ぼくが……し……かはっ」ぐにゅり、とナイフがさらに深く肉体に沈み込む低い音がしました。それで彼の動きは止まりました。目の前の凄惨な死体を見て、理性は低い笑いを漏らしました。

「……あはは、はは、あはは……」彼女は殺しに快感を覚えていました。一つの命を、肉体を掻き回すことで台無しにする行為。さっきまで偉そうにものを語っていた彼も、臓器をぐちゃぐちゃにされてしまえば、ただの物言わぬモノ。サディスティックな欲求が満たされていきました。「あはは、あは……あはははは――」

 やがて警察が来て、彼女を連行していきました。そう、所詮彼女は社会の一部としての理性にすぎなかったのです。小さな理性は、それが生み出したより大きな理性によって支配される。ホルクハイマーやアドルノが言ったとおりでした。

 こうして僕に舞い降りていた善悪の声が去ったので、このブログを始めた理由が書けるようになったのです。

 

 まず始めに、人はインプットされた分量に応じて一定のアウトプットをしないと不安定で倒れてしまう気がします。新しく本を読んだあとの数時間は、なんだか言葉が頭の中をぐるぐると駆け巡りませんか?別にその本文中の表現がとかいうわけではなく、全く関係ないデタラメな思考が。

 ちょうど日中の出来事を睡眠中に処理する脳が夢をみるような形で、これも読んだ文章の処理が行われてる最中の副次的な産物だと思います。ところがこれをきちんとした形で出力しないと、とにかくその副次物が頭の中を駆け巡るので煩しい。上の怪文書みたいな支離滅裂なクレイジーなアヴァンギャルドが延々続くわけです。

 そんな状況になったのはここ最近のことで、高二になってからは本を読むような暇もやる気も無かったので、ツイッターさえあればどうにかなってた*2んですけど、この時期に来て中だるみという現象が発症し、私が中公クラシックスとかを一生懸命頑張りながら読むようになってしまったせいで、インプットばかりが増加していく。アウトプットは現代文の解答用紙と、今では同級生アクティブユーザーが激減したツイッターのみ。何かアウトプットする場所があればなあと思いました。

 そしてもう一つはアレです。国語、苦手なんです。点数全く取れません。厭になります。でも僕文章書けないほうじゃないと思うんですよ。「問われたことに答える」みたいのが苦手なだけです。

 え、それは駄目?社会に適合能はざる?でもまあ、問われたことに答えないのもいいと思うんですよ。そもそも現代文って科目の非対称性はヤバいですよね。著者が自分に酔いながら楽しくレトリックしてるのを横目に眺めながら、そいつの精神分析をしなきゃいけないわけじゃないですか。それで、なぜか観察されてるのは僕たちのほうで、論理構造を間違えたら即減点、いやいや待てと。入試現代文とは介護福祉士採用試験である。*3

 そういうわけでこのブログは支離滅裂な文章を書くために作成したのです。黒歴史確定であります。

 

*1:エルニーニョ(El Niño)は「男の子」、ラニーニャ(La Niña)は「女の子」の意とのことで、本文中の性別とは逆になっていました。深く謝罪します

*2:これを書いてから高2にも一つブログを作っていたことを思い出しました。重ねて謝罪します。

*3:とあるがどういう意味か。本文全体を踏まえて分かりやすく説明せよ。