蛍光色に浮かぶ寿司

colorless white sushis sleep furiously.

ブログを開設しました

「ブログを開設するのはやめなさい」善なる声が私に呼びかけました。

 その声が聞こえたのは、私がいつもより早く予備校を抜け出し、内的な興奮を抑えながら帰宅したのち、押入に隠していたラップトップを取り出して起動したときのことでした。

「あなたは今まであまりに多くのブログを作っては黒歴史としてきたわ。何回も開設して、何回も放置して、何回も閉鎖してきた」善なる声は感情を封じたかのような声で言いました。「打ち捨てられたブログの記事を読み返して、復元不可能な形での削除を決断したとき、あなたは過去に書いた記事を読んで何を思いましたか?あなたにとってブログ作りとは、すなわち黒歴史作りだった。やめなさい、ブログを開設するのは」

「いや、開設すべきだ。ゲマインシャフトの中で封殺された思考には吐露するための場所が必要だ」悪なる声は耳元で囁きます。「お前は社会的に極めて特殊な環境下で重圧に押しつぶされながら、極めて一元的な競争を強いられる哀れな弱者だ。風に揺られることも許されず、真っ直ぐに伸びることだけを強制された一本の葦だ。ここで少し斜めに傾かなければならない。そうしなければ足に踏み潰されてしまうから」

 悪の口調は極めてレトリカルでした。対して善の言い分は極めてロジカル。上に目玉焼きを載せたらちょうど良い塩梅のベーコンでした。

 そもそもこの二つの声は二元論的に善悪として対立しているものではないのです。どちらかといえば善は理性、悪は感情です。これも二元論だった気がします。

 ともかく、善の言い分は単純明快。今まで作った数多のブログは全て途中でネタが無くなり、飽き、忘却され、数ヶ月ないしは数年後に友人の言及による再発見を経て、無慈悲でありながら極めて感情的な削除の憂き目に遭ってきた。だから、今度のブログもすぐに黒歴史メンバにインサートされることは間違いない。それならば、最初からオブジェクトを生成するなというわけです。

「自分で書いていることを理解していますか?」善なる声。彼女は理性のエルニーニョ

 悪の言い分は、疲れた。何に?受験戦争に。血を血で洗い、学歴を学歴で洗い、自意識を自意識で洗う醜悪な争いに。理想の自分と現実の自分とを数値比較しながら、かりそめの納得を繰り返して進行していく信仰に。

「レトリカルな表現に無理が生じてきたな」悪なる声。彼は感情のラニーニャ

 ここでエルニーニョの言うことに従えれば、冬も暖かく過ごせそうです。*1

 

「そもそも何を書くつもりなのよ」理性は訊ねます。リセジョです。

「何をって……まあ……」感情は黙りこくってしまいました。そう、悲しきことに、感情豊かな人間は相手のことを気にしてしまうあまり、かえって口数が少なくなって感情に乏しいという評価を受けるのです。コミュニケーションが得意と言ってずけずけ口を挟んでくるのはいつも感情の欠けた人間なのです。そんな人間が成功するのが社会の常。感情は社会に不必要だとでもいうのでしょうか?

「書くことは特に無い。でも、何かを書かなければという思いはある」訥々と呟きます。感情は完全に自分に酔っていました。

「はあ?何それ意味分かんない、伝えたいものが無いのに文章書くなんて無駄じゃない!なんでそんな馬鹿みたいなことばかりするの?死んだほうがマシなんじゃない?」徐々に理性の性格が作者の性癖の影響を受け始めました。性癖を性的嗜好という意味で使うのは全くの誤用なんですが、いいじゃないですかそんなこと。言葉の乱れなんて言って言語の自然な変化を故意に妨げようとする国語学者が一番言語を乱してるんですよ。

「何かを書きたいんだ。それが僕の欲求」

「うるさい死ね」理性は感情の胸にナイフを刺しました。それで終わりでした。とくとくと流れ出る鮮血。血と臓物の匂い。焦点の定まらない目で、感情は最期の言葉を紡ごうとしました。

「……ぼ……ぼくが……し……かはっ」ぐにゅり、とナイフがさらに深く肉体に沈み込む低い音がしました。それで彼の動きは止まりました。目の前の凄惨な死体を見て、理性は低い笑いを漏らしました。

「……あはは、はは、あはは……」彼女は殺しに快感を覚えていました。一つの命を、肉体を掻き回すことで台無しにする行為。さっきまで偉そうにものを語っていた彼も、臓器をぐちゃぐちゃにされてしまえば、ただの物言わぬモノ。サディスティックな欲求が満たされていきました。「あはは、あは……あはははは――」

 やがて警察が来て、彼女を連行していきました。そう、所詮彼女は社会の一部としての理性にすぎなかったのです。小さな理性は、それが生み出したより大きな理性によって支配される。ホルクハイマーやアドルノが言ったとおりでした。

 こうして僕に舞い降りていた善悪の声が去ったので、このブログを始めた理由が書けるようになったのです。

 

 まず始めに、人はインプットされた分量に応じて一定のアウトプットをしないと不安定で倒れてしまう気がします。新しく本を読んだあとの数時間は、なんだか言葉が頭の中をぐるぐると駆け巡りませんか?別にその本文中の表現がとかいうわけではなく、全く関係ないデタラメな思考が。

 ちょうど日中の出来事を睡眠中に処理する脳が夢をみるような形で、これも読んだ文章の処理が行われてる最中の副次的な産物だと思います。ところがこれをきちんとした形で出力しないと、とにかくその副次物が頭の中を駆け巡るので煩しい。上の怪文書みたいな支離滅裂なクレイジーなアヴァンギャルドが延々続くわけです。

 そんな状況になったのはここ最近のことで、高二になってからは本を読むような暇もやる気も無かったので、ツイッターさえあればどうにかなってた*2んですけど、この時期に来て中だるみという現象が発症し、私が中公クラシックスとかを一生懸命頑張りながら読むようになってしまったせいで、インプットばかりが増加していく。アウトプットは現代文の解答用紙と、今では同級生アクティブユーザーが激減したツイッターのみ。何かアウトプットする場所があればなあと思いました。

 そしてもう一つはアレです。国語、苦手なんです。点数全く取れません。厭になります。でも僕文章書けないほうじゃないと思うんですよ。「問われたことに答える」みたいのが苦手なだけです。

 え、それは駄目?社会に適合能はざる?でもまあ、問われたことに答えないのもいいと思うんですよ。そもそも現代文って科目の非対称性はヤバいですよね。著者が自分に酔いながら楽しくレトリックしてるのを横目に眺めながら、そいつの精神分析をしなきゃいけないわけじゃないですか。それで、なぜか観察されてるのは僕たちのほうで、論理構造を間違えたら即減点、いやいや待てと。入試現代文とは介護福祉士採用試験である。*3

 そういうわけでこのブログは支離滅裂な文章を書くために作成したのです。黒歴史確定であります。

 

*1:エルニーニョ(El Niño)は「男の子」、ラニーニャ(La Niña)は「女の子」の意とのことで、本文中の性別とは逆になっていました。深く謝罪します

*2:これを書いてから高2にも一つブログを作っていたことを思い出しました。重ねて謝罪します。

*3:とあるがどういう意味か。本文全体を踏まえて分かりやすく説明せよ。