自分と著しく異なる政治的主張を隣人が示した際に人はどうあるべきか
原初状態において、意図しない政治的議論へ巻き込まれないために、人は以下の二原則を遵守すべきである。
第一原理
各人は他人との会話において、政治、あるいは政治的な論争の余地がある話題を挙げてはならない。
第二原理
ただし、次の二条件を満たす場合に限っては第一原理を適用しなくても構わない。
a)会話が聞こえる総ての人間が、自分と近しい政治的思想を持っていることが明らかである。
b)会話が聞こえる総ての人間との間で、これ以上不和が広がることによるリスクが存在しないか考慮に値しないレベルである。
センター試験まであと65日とのことで、そもそもブログを開設することが愚の極みだったのですが、さらに翌日に即更新するという愚挙を犯すことになりました。本当は時間や現実逃避したみのある日曜日の夜に毎週更新という形を取ろうと思っていたのですが、不思議なものです。理性ちゃんが逮捕されたおかげでしょうか。
さらに更新のネタがポリティカルな話題ということで、絶対にこれ以上書き進めてはいけない気がします。ポリティクスは黒歴史とは切っても切り離せない存在です。ああ、政治。仮に高二の頃「日本史&政治経済」という科目選択をしていたら、僕にとってこれは「日本史&黒歴史」というセットになっていたことでしょう。早稲田大学黒歴史学部。
「ポリティカルな題材だけはやめなさい!」拘置所からの理性の声が聞こえます。彼女は初公判を終えた直後でした。理性が裁きを受ける日が来たのです。
「……」感情は死んでいました。
とはいえ、予定外に僕がこの記事を書いているのは、日常で予期せぬ出来事に遭遇したからです。
土曜日はいつも午前授業で終わりなのですが、その最後は体育の時間でした。ところで今日における体育の意味とは何なのでしょうか。人の身体は生まれつき平等にはできていないことが明らかであり、人間の短所は矯正するためのものではなく、短所のある人間でも周りと同じように幸せに生きていけるような社会の実現が叫ばれる今日において、その矯正を目的とした体育という授業はいますぐ廃止すべきではないか。そもそも始まりからして健全な兵士の育成のための予備訓練、軍国主義の名残なのであるから。そんなことを考えながら、必死に走る他人たちを眺めます。
体育とは身体を動かす場所ではないのです。真に熟練した人間にとって、体育とは棒立ちしたまま他人を観察する場。中学生の頃は私も未成熟だったので、必死に教師の見ている前では運動しようとしましたが、今や立派に体育を知り尽くした私。もはや私のすべきことは、静止。ただその境地に至ることが肝要なのです。周囲の躍動とのファンダメンタルな対比。これこそが体育を完成させるコンポジションなのです。
「……」理性は二度目の公判へと向かいます。殺人罪での起訴は地方審では裁判員裁判の対象となりますから、公判前整理手続による迅速な裁判が期待されました。
そんなコンポジションには僕の他にも数人の仲間がいました。colleagueとも言えますし、companyとも言えます。僕たちは静止しながら会話を持ちました。
最初は勉強の話、次に受験の話、さらには学歴の話なんかも出てきて、それはもう和やかで愉快な話し合いだったので、私は時折拒絶シグナルを出しながら、話題の転換を図りました。
「ところで民主党が解党するんだって?」
さあ、政治的話題を出してしまいました。しかし私は記事冒頭に示した政治の二原理を知っていました。*1その場にいたcolleagueたちは自分と近しい政治的思想を持っていることが明らかだった*2うえに、あまり不和になることは考えられませんでした*3。
「本当らしい」
「マジかよ。今度の参院選は民主にと思っていたのに」
「どこに入れたらいいんだ」
「終わりだ。55年体制の再来だ」
「僕には関係ないね。最初からJCP*4に入れるつもりだったから」
そこには阿鼻叫喚の地獄絵図が展開されていました。内的で私的な不安に耐えることを欲しない人間は、外的で公的な不安に身を委ねることによって逃避を成立させるのです。
しかしそのときでした。
「まあ、野党なんていらないと思ってたし、いいんじゃない?」
聞き覚えのあるその声の主は、全く予期していないある人でした。ここでは彼をAとしましょう。Aは体育には真剣に取り組む方だと思っていたのに、いつの間にか静止運動にアンガージュマンしていたのです。ああ、なんということでしょう、私は結果的に政治二原則を破ってしまったのでした。
Aは我々の動揺を意に介することもなく訥々と語りました。その落ち着き払った声は我々を畏怖させ、沈黙させるに値するものでした。
「そもそも、野党っていうのは何もしないから――批判だけしているものだから、あれは全く生産的ではないし、存在価値は無い。それというのも、民主党時代の自民党はまだ影の内閣として政権を担う準備を進めていたのだから、建設的な批判というものをできていたのだが、少なくとも現代の野党は――自民党の基盤があまりに強固で堅実なものであるために――まったく与党の正当な政策を歪めて解釈し、ありもしないデメリットを並べ、国民に無用な心配を与えることに終始している。困ったものだと思っていたが、民主党が潰れてくれたのだから、これでもう自民党の政権運営を脅かす連中が出ることもないだろう。諸君、喜ばしいことだとは思わないかね?」
凍てつく風が私たちの間を通り抜けていきました。いつの間にか曇った空は雨を蓄え始めていました。
教室。ロッカーを開けて帰りの準備をします。彼の隣の席は私の座るべき席でした。近寄れません。帰ってきてから着替えるまで、私は彼から政治談議の延長を粛々と聞いていたのです。
「そもそも私は何事につけても批判せずにはいられない批判体質のマスメディアというものを好まぬ。マスメディアはなぜ事実だけを報道するのではなく恣意的な情報操作と引用、学界的価値の著しく低いコメンテエタアなどを用いて間接的な、いや、殆ど露骨な情報操作を行うのか。政治のするものに何であれ意図的に色をつけて放流する。しかもその内容は片方に偏っている。公共の電波を用いておきながら、それを公の批判にしか用いないというのは、嗚呼、何たる愚行か」
「反軍国主義だの平和主義だの掲げておけば解決する国際問題など存在しない。今わが国が抱えている問題の大多数は、憲法によってではなく、血と鉄のみによって解決されるのであります。現実に犯される可能性がある国民の命を、憲法などという紙切れの文言に縛られて守れないなどという事態が起こったときのことを考えても見よ。実にまったく、軍事力を持たないなどという発想は妄信愚昧にも程があろうというものだ」
彼はこの後も広範な事象に関して言及を続けました。私は聞くしかありません。この人が普通の人ならば私は何も聞かなかったふりをして帰れたことでしょう。しかし彼は隣人として、今まで私の地理的閉鎖状態を救済してくださったのです。
この方は一切会話の中に受験の話を出さないのです。ところで話は変わりますが、受験とは鮭の産卵のようなものだと思います。鮭の卵に生まれ育ってしまった時点で、絶望的な川上りを強いられるのは当然なのです。東大とはつまり利根川のことでしょう。色々浮かんできちゃったのでこの話はまた後に記事にします。
彼は産卵について語らない稀少な存在でした。私が休み時間に世界史のソ連史のページを眺めていたとき、彼が世界史クイズを出してきてくれたことの、どれほど嬉しかったことか。その日は東大模試の前日でした。周囲では延々利根川の水温、流速、水質をどう乗り切るかについて話がなされていたのです。そんな鮭の群れから私を救い出し、歴史の奥深さの世界に誘ってくれたのは彼だったのです。それがどうして、どうして。歴史を学んでいるものならば、批判勢力の排除がどのような結果をもたらしたか何十もの実例をもって理解できているはずなのに。そういえば彼がよく「第二次世界大戦①」のページの大日本帝国の最大版図を眺めていたのを思い出しました。彼はそれを理想視していたのでしょうか?軍靴の足音が聞こえる。
担任が何個かの連絡事項を伝え終えて、帰りの号令をしました。私はお辞儀をしながら、心の内では彼のことについて考えざるをえませんでした。後に聞いたのですが、彼の父親は利根川出身の官僚なのだとか。ああ、そういう、そういう――そういう人なのです、彼は。私は心のうちに一つの落胆を覚えずにはいられませんでした。もう月曜日、彼を見たところで、私は彼を官犬としてしか捉えられなくなるのです。官犬の子は官犬。そういう運命なのです。
ああ、しかし、冒頭の二原理をもっと忠実に守れていれば、私は隣人にこのような性質を見出さずに済んだのです。私は未だ確固たる答えを見つけることが出来ません。自分と著しく異なる政治的主張を隣人が示した際、人はどうあるべきなのでしょうか?