蛍光色に浮かぶ寿司

colorless white sushis sleep furiously.

ポストウェイと<終焉の六日間>

 五月の大型連休、たった一日の自主休講によって六日間にも及ぶ長大な休みを戴けるというこの機会を活かし、私は東京の実家に帰ってきました。受験の苦*1を共にした自室の勉強机に愛機のノートパソコンを広げると、黒歴史化に怯えながらブログを開設した数か月前の記憶が蘇ってくるようで懐かしいです。

 開設日は2015年11月3日とのことですから、奇しくも今日はあれから半年の記念日ということになるようです。この六ヶ月間で感情は死に理性は収監され、そして更生への第一歩を歩み始めました。短くかいつまんでもこれだけたくさんの出来事を描いたわけで、その間にこの怪文書群はあまりに多くの人々へと伝播していき、今や集合的黒歴史*2とも呼べる存在になりつつあります。そしてその集合的黒歴史を愛好してくださる方もなかには(ほんの一握りながら)いらっしゃるようで、私としては感謝の意がつきません。しかし今回の記事に関しては、黒歴史愛好家の方々も思わず肩を落とすような残念な出来となっていることでしょう。

 さらに言えば、開設の挨拶時には1000字台に留まっていた文字数も、私の文書結論力(文章中に結論を作る能力のことを指します)の弱体化が明らかになるにつれ次第に拡大していったことで、最長の記事に至っては8000文字を超すボリュームを誇り、非常時の緊急連絡に回されるべき貴重な通信リソースを一時は逼迫していたわけですが、今度の記事に関してはおそらく誰も咎めない程度の情報量に収まるでしょう。

 これら二つの前置きに関して、私が書く前から断言できてしまうのはなぜかといえば、今回の記事は『記事を書こうと思ったんだけどできなかった』という内容の記事だからです。

 

1.躓き

 現在通っている大学への合格を決めてから数日後のこと、私は作ったまま放置していた一つのアカウントに手を加え、数週間後には同級生となるであろう人々と慣れ合うためのいわば大学用のアカウント、大学垢として再利用することにしました。

 出だしは順調でした。進学先の大学名と学部名で検索をかけてプロフィールを吟味し、新入生だと思われた者を無条件にフォローしていく。今の私からすれば考えられないような無差別さ、無遠慮さではありましたが、当時の私は大学入学時の時点である程度人脈を持っておくことにより、他の新入生からのアドバンテージを持ちたかったのです。それは私にフォローされた方にも同様の行動原理と見え、次第に私は同学部の人々とネット上でつながるようになりました。それはつまり、同学部の方同士の会話が見えるようになったということです。

 しかし数日を経て、事態は次第に悪化していきました。一歩を踏み出せないタイプのコミュ障であるこの私が、リプライという会話機能を用いることができずにひたすら独り言を呟いてばかりいる間に、積極的な他の方々同士では次々と会話が持たれていくようになり、いつの間にか私はいわば「ネットコミュニティの当事者」から「ネットコミュニティの観察者」へとシフトしていたのです。

 この事象の原因は私のコミュニケーション能力不足、より端的に言えば対人的臆病さにあり、責められるべきは完全に私だけでした。しかし私はそれを認めなくなかった。それを認めてしまえば、私は今後どんな共同体にも馴染めないという厳然たる事実を突きつけられてしまうから。だから私は、自分が悪いのではない、社会が悪いのだ――そんな私的で自分勝手なコペルニクス的転回を実現するため、自分がそこにいるはずであった、しかし今は閉じられてしまった同学部のコミュニティの粗探しを初めることにしたのです。

2.違和感

 粗探しは難航しました。コミュニティの中で常に割りを食っている人々が存在したなら、つまりいじめに近いような利害構造が固定化されていたなら、それを弾劾するのは極めて容易だったことでしょう。しかし現実は異なりました。コミュニティの成員と思われる人々は、程度に差はあれど皆楽しそうにリプライを飛ばし合い、そのコミュニケーションの糸は長々として途切れることはなく、分け隔てのない和気藹々とした健全で快活な会話を楽しんでいたからです。

 私はそれを羨みました。私も会話の緯糸を紡ぎたいと思いました。しかしどうでしょう?その穏やかで互いを重んじるコミュニケーションを眺めているとき、私の心に強くひっかかる違和感を感じたのもまた事実だったのです。

 その違和感はとても言葉に表現できないものでした。この記事を読んでいる読者諸君の大半も、おそらくこの違和感に共鳴してくれはしないでしょう。「健全で快活な会話」、これのどこに嫌悪感を感じる必要があるでしょうか?倫理的にも論理的にも、これが理想のコミュニケーションであることは明らかであり、共に助け共に笑い合う関係は、まさに理想のコミュニティの十分条件であることも確かでしょう。しかし私はその理想を眺めているにつれ、初めは小さいものだった違和感が、まるで悪性腫瘍のように私の体内に広がっていくのを感じざるを得なかったのです。

3.ポストウェイ概念の発見

 私は違和感を拭えなかった。非常に恥ずかしいことですが、違和感が次第に嫌悪感に悪化していることも感じました。なぜだ?なぜだ?私が善人でないことはもはや地球が公転していること以上に自明の事実でしたが、さりとて根っからの悪人かといえばそれは違うと思っていたのです。だって京都市バスに乗り込んだとき、もし優先席しか空きがなかったら*3私は吊革に掴まって立つことを選ぶ程度には善意を残した人間でしたから。

 それではこの違和感にはどう説明をつけようか?クラス会や新歓への積極的な参加などによる周到な人間観察を経て、四月初期の私が編み出したのは「ポストウェイ」というテクニカルタームでした。

ウェイの否定を図って結束することにより、本質的にはウェイと同等の強権的かつ一方的なコミュニケーションを図る人々が存在する――私は彼らをポストウェイと呼ぶ。 

-2016/4/7,きぷ(@kypu)

  私は当然ポストウェイ批判でまた記事を書こうと思い始めていたので、この呟きは当時の初期構想を漏らしたと思しき貴重なツイートと思われるのですが、ともかく私は「ウェイを否定しながら実質的にはウェイと変わらないことをしている人々」を指すポストウェイという用語を生み出し、そしてこの概念は私の友人Kとの会話でも頻繁に利用されるようになりました。Kもまた大学でのコミュニティに適応障害を起こしている同胞の一人のようでした。今や自分の弁明だけでなく、早くも大学デビューの失敗を確約してしまった全ての人々のために、私はポストウェイへの批判記事を書く使命に駆られていました。

 アメリカの著名な人文科学雑誌、『Social Text』上に先週発表された一つの論文が大きな脚光を浴びている。英ハーグレー大学で社会学博士号を取得したジョージ=ボッチ(George Botch)と日系研究者コージ=ラッセル(Koji Rassel)の共著論文であり、原タイトルは大まかに訳せば『 「ポストウェイ」の時代:表層的ウェイの衰微に追伴した学内階層の定義拡張とその必要性について』と書けるであろう。私はこの分野は専門外なのだが、アメリカ時代の研究室の同期にこの論文を勧められて読んだところ大変な衝撃を受け、邦訳が出れば日本の思想界にも大きな影響を与えるだろうと思ったが、しかし未だこの著作は知識人たちの関心外にあるらしい。そこで、出過ぎた真似であることは十分に承知するが、僭越ながら私の拙訳にてこの著作を紹介したいと思う。

(以下略)

 管理画面にはこんな下書きが残されていました。今思うと何が面白いのか分からない虚構ですが、それを言うとこのブログ全体の意味について考え始めてしまうのでやめておきます。

4.頓挫

 この下書きではこの後学術的論文を装った形での厳密(に見せかけた)ポストウェイ研究を繰り広げようとしたのですが、執筆はポストウェイの定義を厳密化するにあたって行き詰まりをみせてしまいました。用語だけを先に生み出してしまったことから、ポストウェイは友人との会話でも、そして私の脳内でも、誰にでも当てはめられるいわば便利な悪口として用いられるようになったからです。

 ポストウェイが否定したウェイの特徴、これは容易に挙げられるでしょう。染髪、未成年飲酒、甲高い嬌声等の悪しき慣習です。これらはポストウェイには見られません。私がポストウェイと呼んだ人々は、ただ健全で快活な会話を楽しんでいただけなのです。しかし、それでは「本質的なウェイの特徴」とは何なのでしょうか?

 それを未定義にしておくことは非常に有益でした。気に入らない人々をすべてポストウェイとして十把一絡げにしていくことで、ポストウェイはむしろ「俺が気に入らない人」という定義へと変質していったのです。参考までに、我々が挙げていたその頃のポストウェイの特徴として、

  • 仲間内に閉じられた環を作り、その中では助け合うことを是とする
  • インターネットでも互いの親睦を深めることを是とする
  • 初めての人にも無遠慮に話しかけてくる
  • インターネットではやたらと「ツイ廃」という言葉を使いたがる
  • 自虐ネタを一切しない
  • なんか楽しそう

等が挙げられていました。こうしてみるといかにこの概念が無政府的かがよく分かります(特に矛盾を起こしている要素が一対あるように思えます)。

 ポストウェイを厳密に定義するということはすなわち、ポストウェイであるものとでないものの間に境界線を引くということですから、誰にでも貼れる便利なレッテルを失ってしまうという結果が待っていました。それではやはり当初の議論に戻り、仮に私の入りそびれたコミュニティが「ポストウェイではない」コミュニティだったことが明らかになれば、私のコペルニクス的責任転嫁は失敗に終わってしまうのです。

5.転換

 その後私の苦悩は友人Kのとある一言によって打開の糸口を得たように思えました。

 僕はね。ウェイには全体のために個を抑える習性があると見ている。この個を抑えて周りに言動を合わせる事を迎合と呼んでるけど、迎合するかしないか、これが分岐点なんじゃないかな。

-2016/04/21,K

  彼のこの発言を端緒として、我々のポストウェイ観はアルキメデスの点を手に入れました。すなわち、ポストウェイは集団内での和を重んじて他の構成員を批判することなく、そして自らも批判されることをよしとしない集団だと考えるのです。

 この定義は非常にラディカルでしたが、一方で的を射ているように思われました。私の中でのポストウェイ観は次第に固まっていきました。また彼と話し合った結果、「他虐と同様に自虐も行わない」という特徴も、中核から導き出されるポストウェイの特徴の一つであろうと考えられることになりました。

 私は躍起になりました。これは驚くべき進歩でした。ポストウェイは今や便利な悪口ではなく、立派な分析用語として復活を遂げようとしている。もう一度ノーベル社会学賞を狙えるのではないか?そして私は記事の構想を練るため、大学の授業時間等を利用してはさらなる思索に励みました。それは目当てのサークルの新歓にも優先して行われる至上命題でした。

 しかし次第にまた雲行きが怪しくなってきたことに、私は気がつかざるを得なかったのです。

5.<終焉の六日間>

 「ポストウェイはなぜ、どこに誕生するのか?」私がその時直面していたのは、まさにそのような課題でした。他者の視線を内部化して自身を無味乾燥たる世人に落とし込み、翻って集団内での高い位置を占めるための努力をポストウェイに強いるものは何か?

 私が通っていた中高一貫校の男子校にも、確かにポストウェイとも呼べるものは存在しましたが、しかしそれほど多くを占めてはいませんでした。高校時代の友人といえば、何の躊躇も必要とせずに、むしろ一種の喜びを伴って自虐も他虐も行っているような連中ばかりでしたし、他者の視線に至ってはほとんどの人がその存在にすら気づいていないような様相を呈していました。*4

 同時に私は感じていました。大学に来てからというものの、三割にも満たさない程度しかいないはずの女子の存在に、端的に言えば私は怯えていました。異性という存在は、その見た目や立ち振る舞いがあまりに自身とは異質であり、さらには取り扱いに慎重さを期することから、「他者から見た自分」を意識することを私に強いたのです。今の私は異性の心象を損なう行動を取ってはいないだろうか?学生厚生課に通報されても胸を張って*5無実を主張できるか?そんなことを私は四六時中考えさせられたのです。

 さらに言えば、自虐や他虐をほとんどしないというポストウェイの特徴は、異性の目が存在する空間においては自明のことのように思われました。異性が存在する空間において、概して男性はより多くの異性と、より親密な関係を結ぶことを大きな目標として掲げているようでした。それを達成するためには、自身がいかに人間的に優れてあり、自身と結びつくことでどのようなメリットが生じるかを誇示する必要があります。当然、そのためには自虐など最も排されて然るべき行為だったのです。かくして私は思い知りました。

 ポストウェイの特徴とは、即ち男女が共に存在する場の特徴である。

 そして男女が共に存在する場というのは、思うにこの世界の99%を占める場であり、男子校などはその極僅かなる例外に過ぎなかったのです。よって、男子校での自虐コミュニティに慣れきり、男女が共に存在する場のコミュニティに違和感を感じる私に待ち受けている運命は何か?

 

 私は悟りました。男子校で得たコミュニティのみが、今後全生涯で違和感なく属せる唯一無二のコミュニティになるであろうこと。今後私は一生、あらゆるコミュニティに違和感と嫌悪感を持ち続け、自主的にどんなコミュニティからも排斥され続けるであろうこと。

 私がなぜ東京に帰省してきたのか?それは男子校時代の友人たちと会うためです。彼らの大半はポストウェイ的コミュニケーションにさして嫌悪感を持っている様子はなく、異性と関わり合いながらこれからの大学生活を謳歌せんとする気概に溢れています。ですから、あと半年もすれば汚らしい私の影など忘れて大いにコミュニケーションの大海を泳いでいることでしょう。 

 この大型連休の六日間だけが、私と友人が気兼ねなく一緒に遊べる最後の六日間なのです。それを最後に友人は男子校コミュニティから羽ばたいていき、私は生涯にわたってぼっち生活と向き合っていくことになるのです。

 ですから、私はこの帰省期間を<終焉の六日間>と呼びます。人生に残された最後の六日間、私は精一杯楽しみたいと考えています。

*1:受験に楽などない。

*2:ドイツ人における第三帝国のようなもの。

*3:現在の市バスの混雑状況からすれば成立しえない仮定です。

*4:もちろん私もその一人でした。

*5:この慣用句も女性のいる場で用いるとセクハラなのでしょうか。