蛍光色に浮かぶ寿司

colorless white sushis sleep furiously.

布団の傍の眼鏡

 先日眼鏡が壊れてしまいました。布団の脇に置いておいたら、用を足して戻ってくるときに踏んづけてしまったようで、朝起きたときに見たらフレームが歪んでレンズが抜け落ちてしまいました。激しい動揺を覚えながらも、でも大丈夫、私にはスペアの眼鏡もあるから、と思って数日を寝て過ごしていると、今度はそのスペアまで踏んづけてしまいました。うでの部分が曲がってしまって、無理やり自力で治そうと引っ張ったら、接合部分ごと腕はポキリと折れてしまいました。

 持っていた眼鏡が全て使えなくなってしまって私は非常に焦りました。本を読む、大学に行く、授業を受ける、ということ――今までさして真面目に取り組んできたわけでもないのに、しかし全く取り組めないとなると恐怖心を覚える幾つかの有意義な事項――が出来なくなってしまって困るので、結局私はその次の朝*1に眼鏡屋に行って、折れてしまったものは修理できないと言われて悲しい気持ちになりながら、新しいフレームを購入する羽目になったのです。

 綺羅びやかなショーウィンドウを一陣の風が吹き抜け、数千円の出費は一瞬にして貧乏学生である私の財布を無と抽象の世界に変え、結局私は近くのATMでお金を下ろすことにしました。徴収する手数料と反比例するかのように明るい電子音を耳にしながら、画面の指示に従って振込カードを挿入した、はずでした。

 数秒後、「このカードは取扱いできません」との文字と共にカードは吐き出されました。私はまず機械の故障を疑い、再度よく確かめずに挿入しました。再度吐き出されました。今度は、と思い、ここで私が今まさに挿入せんとしているカードをちらりと見て、そこでその原因を悟りました。私が手にしていたカードは銀行の口座カードではなく、某大学のくすんだ橙色の学生証だったのです。

 しばらくの間、私は後ろに人が並んでいることも忘れて、学生証の中の私の肖像が見つめる虚空と目を合わせていました。受験を前にして予め取ったのだろうその表情はどこか不安げながらも、しかしその目には確固たる期待と自尊心が宿っているように見えました。

 

 大学に入ってからおよそ一年が経ちました。あと残しているのは後期試験くらいのもので、いやこの後期試験が甚大で苛烈なプレッシャーを今この瞬間も私に与えてくるのですが、しかし私はこのブログを書くことに対してはあまり罪悪感を覚えません。本当ならば今この時間は、私が出席不足で受験資格を得られなかった某試験が行われているはずです。私はこの科目がそれなりに好きだし、将来的な必要性が見込まれる数少ない科目の一つだったので、きっと出席が足りていたら試験を本気で受けに行っていたはずです。それを受けに行ったと思えば、あるいはそのテスト勉強に励んだと思えば、このような駄文を書く時間など惜しくもなんともありません。

 私にとってみれば、この一年間ほど有意義な時間も無かったと思います。読もうと思っていた本のリストはその4分の1程度にしか読めませんでしたし、ブログの記事だって毎月1本書こうと思っていたら結果は半年のネグレクト、趣味のDTMで得られなかった技術力とか、あるいは火とまでは言わなくても煙の立ち始めた単位取得状況であるとか、そういう諸々の状況を合わせてインダクションを行うと、諸々のイドラに一切抵触せずに説得力ある自己否定を実現することができます。しかし私は自己否定したくないです。嫌です。つらいです。なので、それっぽい理由を二つ掲げて実存の問題を外部化します。ダイナミックな責任転嫁は昔から東西の哲学者達が取り組んできたことです*2

 一つには、昔からこのブログで書いてきた扶養者の所得によって再生産される既得権益層たる高学歴、という考えが部分的ながら否定されたことです。勿論、思考力にかなり淀みがあって、お前絶対他者より良質な受験教育を受けられただけだろという人間もいます*3。しかし中には、他者から教えられることなく、あるいはあまり良質でない環境から信じられないほどの思考力で己が知識を積み上げ、そして大学に入ってからもその才能を遺憾なく発揮している人間もいます。どこからが才能でどこからが努力なのか、その線引きはあまりに不毛で答えが無さそうに見えますから、そういう天賦の才が……みたいな話にはしたくないですが、それでも自分よりも遥かに優れた人間を多数見て、自尊心がズキズキと苦しんでいき、その現実逃避のためにゲームで遊んでいたら一年が終わっていたという解釈はあながち間違いでもないような気がします。

 もう一つは、このブログの読者の方は既にお気づきのこととは思いますが、とりあえず言われたことに反抗してみる癖が裏目裏目に出続けたことがあります。中学高校時代の私は輝いていました。とりあえずbは教師がブロック体で書いていたら筆記体で板書するし、課題図書が出たらその作家の別の作品だけ読んで後は素知らぬ振りをしましたし、英語の試験前には度々ロシア語の単語帳をドヤ顔で開いていました。

 今思いだすと赤面するほど恥ずかしいこの数々の奇行は、しかし取り扱う相手が中学高校レベルまでであれば自力でどうにかすることができたのですが、大学レベルに至るとそうもいかないようです。というより、中高は大きく後者に偏っていた教師の質と教材の質が、大学に入って前者に傾き始めたのに気づかなかっただけなのかもしれません。教授の毎週ごとの的確なアドバイスを無視し続け、あるいはそもそも授業に出ることすら億劫とした私に待っていたのは、読んでも読んでも理解できない謎の言語で書かれた学術書、平常点の無い中満点に近い評価を強いられる大量の期末レポート、一切友人からの情報が無い中で戦う後期試験でした。

 

 学生証の中の自分を見つめていると、この一年間の記憶が一気にフラッシュバックしてきました。写真の中に閉じ込められた期待も自尊心も、銀行のATMにとっては捨象されるべき不適格なインプット以外の何者でもありません。あのときの私は必死に合格という成果を引き出せましたが、しかしそれは私の将来に至る金銭的安寧、より進んで言えば幸福な生涯までを担保するものでは無かったのです。学生証は執拗に吐き出され、一円も金銭的価値を生むことはなく、私は正しい銀行の口座カードを挿入し、わずかに数千円を引き出すと、手続き終了後に表示される口座残高を見ないようにしてATMブースから離れていきました。

 とりあえず、眼鏡は本棚の上とかに置いて寝ようと思います。

*4

*1:つまり正午

*2:こうして私は責任転嫁の責任転嫁をしています。

*3:私がその最たる例です。

*4:お知らせです。蛍光色に浮かばない寿司なるものが開設されています。ここよりもっとフランクな文章が並んでいます。たぶんそうです。よろしくお願いします。