蛍光色に浮かぶ寿司

colorless white sushis sleep furiously.

オープンキャンパスと相対化

 ずっと以前、大学に入る前のことだが、当時それなりに将来や学問に希望を持っていた僕は、わざわざ新幹線を使ってオープンキャンパスというものに来ていた。親の悲しげな視線を全力で見ないようにして文学部の予約をしていた僕は、早速その古く汚い講義室に入ると、数分後に始まる説明会の始まるのを待った。

 周囲を見れば分かる通り、わざわざ遠いところから来た人間はごく少数のようで、ほとんどは連れ立ってやってきた地元の高校生が占めていた。さらに不幸なことに、文学部は当然文学部なので、全参加者の男女比は非常に女性のほうに偏っていて、僕は開始までの数分間を女性の笑い声に囲まれながら所在無げに過ごすこととなった。これは今となってみれば、現在僕が大学の講義前に体験していることの重大な伏線だったのだが、当時はそんなことは考えなかった。前述したように、僕は将来にそれなりの希望を抱いてこの空間にやってきていたのである。

 ともかく数分後説明会が始まり、講義室のざわめきは静まり返り、何らかの役職を担っていると思われる教授が演説を始めた。内容はよく覚えていない。ただ、文学部の宣伝にはある共通の特徴があって、それは「文学部は社会の役に立たない」というテーゼを内面化していることである。一部の教授は躍起になって退けようとする、「この勉強を通して、結果的には問題を深く考える力が……」。他の教授はこれを受け入れて高らかに宣言する、「社会の役には立ちません」。その口調はどこか誇らしげであるが、周囲の反応を見るや否や直ちに顔を下に向ける。

 一通り全体的な話が終わると、その教室での説明会は終わり、各専攻ごとに分かれて話を聞く流れになった。順番に各専攻の教授が呼びかけ、参加希望者を別室に移動させていく。僕はここまで来たものの、どの専攻に行くかも決め兼ねて、次々と出口へと吸い込まれていく生徒たちを眺めていた。

 哲学、暗い服を纏ったわずかな生徒が、何かを探すような足取りで出口へと歩いて行く。歴史、誰も立ち上がらない。沈黙の時間。文学、連れ立ってきた女子たちが、明るい音を立てながら体験授業へと向かう。社会、心理、連れ立ってきた男子たちが向かう。言語、もうほとんど残っていなかった参加者の、その最後の一陣が消えていった。あまり馴染め無さそうな人たちだ。結局何にも興味はなかった。さっきまで人で埋め尽くされていた教室に、今や一人だけ残されていた。

 静かな教室、取り残された僕は後悔に苛まれた。やってしまった。しかししばらくの間を置いて、教室の扉がゆっくりと開くと、一人の二十代くらいの男が入ってきた。

「遅れてごめん」彼は言った。「相対文化学系の参加希望者で合ってる?」

 相対文化学系。配布された資料には載っていたが、ついに誰も登壇せずに終わった専攻だった。教授も誰も触れていなかったし、説明文も読んではいなかった。

「はい」僕は頷いた。他に選択肢は無かった。

 

「いや、この学系の参加希望者がいるとは……普通こういうのを希望する人はオープンキャンパスなんか来ないんだが、まあ、とにかく、」異常な早口で男は話し始めた。「ようこそ、相対文化学系へ。本当に歓迎する気持ちがあるかは定かではないが、少なくとも歓迎の気持ちを表明することがオープンキャンパスという枠組みの中では正しいとされている。結局のところ学部入学試験の受験者の頭数だけ増やして、競争倍率を良く見せようという現代の大学の生存戦略に過ぎないから、真意はむしろ歓迎とは逆のところにあるわけだが。まあ、とりあえず座ってくれ」

 用意された椅子に座って、落ち着いて周囲を見渡した。案内された場所はちょっとした研究室だった。機能的な机や椅子が数台、壁には一面の本棚、しかしその中に収納されているのは本ではなく、子供の落書きのような絵や粘土細工、あるいは木材やガラクタで、しかしどれも丁寧に、まるでそれらが貴重な研究資料であるかのように粛然と置かれていた。

「ああ、君の視線の先に壁があるということを考えれば、それが意識・無意識のどのレイヤーにあるかは私には断定できないし、思索や内省によって確定できるとも宣言できないが――この研究室の本棚に興味がある、という言語表現によって通常意味されるのと同等の状態に君は今あるのだ、と考えても良さそうだね」

 男の異常な早口はこの教室に来てますます加速していた。

「この本棚には、通常本棚と聞いて必ずではないが非常に高い確率で私たちが想像するものとは異なるものが入っている。というより、私はここまで本棚とこの収納家具を呼んできたが、その根拠はこれが当初本棚として売られていたという事実に過ぎず、本質的ではない歴史的な経緯によるものとしか言えない。なぜなら、この本棚には本が入っていないからで、本を入れる棚として本棚を分析的・目的論的に定義するならば――言語を分析的に考えること自体決して正しいとは言えないが、しかし通俗的に存在する考えの一つに則り、そのように考えるとするならば――これは間違いなく本棚の成立要件を欠いているからだ。しかし、そう、この本棚は当初本が収納されていた」

「しかし、本や本棚はその内容のレイヤーとは別に、権威装置としてのメタ的な役割を持っている。つまり、書かれたものにある程度の信憑性や権威を無条件に与え、本来可塑的で漸進的な知識を固定化する役割だ。私たちはこのメタ性に無批判に追従せず、それを相対化していかなければいけない。だから、この本棚の中にあった本を取っ払って、その代わりに近くのゴミ箱から拾い上げた品々を、当初本棚が持っていただけの構造を損なわないよう最大限注意して代わりに収納したのだ。そこのゴミ箱を覗いてみたまえ」

 男が指差したゴミ箱の蓋を開けた。中には日本語やそれ以外の言語で書かれた、高名な哲学者によるものと思われる分厚い著作が乱雑に置かれていた。

「驚かせてすまない。ともかく、これで私たちの研究室の性質について、言葉を用いて説明するよりも直接的な形で暗示できたことと思う。しかし、このゴミ箱と本棚の中身を入れ替える手法を用いたところで、結局権威と非-権威のカテゴリーを意識的に入れ替えたに過ぎず、決して権威の束縛を逃れてはいないという点で、本来の意味で権威の相対化ができたとは到底言えないのだが。しかし、そうだ、私たち相対文化学系は、あらゆる相対化を研究している研究室だ。とはいえ、研究という現在確立されている手法を用いて研究しては、その『研究』という行為自体を相対化できていない。だから私たちは、発表や論文という手法に訴えるいわゆる研究は取り扱っていないのだが――、ああ、ともかく、同僚の紹介をしていなかったね」

 彼の言葉に合わせて、僕は研究室の机や椅子を見渡した。あまりに静かなので今まで気付いてはいなかったが、そこにもう一人の男がいた。二十代後半くらいの院生に見える見た目だった。彼は突然の来客にも驚かず、窓の外を見たまま無言で座っていた。

「本来は彼自身の口から自己紹介させるのが一番良いのだろうが、今は私が代わりに紹介しよう。ある事情があって、彼は話すことができない、というより意図的に話さないようにしているのだ。ほとんどの抽象的存在は相対化の対象たりうるものだが、言語もその重要な対象の一つだ。思考の媒体として占めているその独占的な性質上、言語は独善的で非相対的な役割を占めている。元よりその文法現象は量化や非対立を上手く扱えるように出来ていないように思われるし、言語は常に誤謬を孕む危険性を抱えている。そこで彼は――言語使用そのものが言語の絶対性に追従する行為と考え、全く言語の使用を避けるようになった。現状、どうしても聞いたり読んだりという現象は避けられないようだが、やがて言語から全て解放され、言語そのものを相対的に思考の手段の一つとして捉えられるようになるかもしれない」

 彼は男が長々と説明する間も一切反応を見せなかった。

「相対文化学系は本来他にもたくさん学生が在籍しているはずなんだけれどもね」もちろん大学の名簿という人為的なリストの上でになるが、と男は続けた。「どうもここの学生は定着率が低くてね」

「法律を相対化した人間は当然逮捕されたし、最も多いのは学籍を相対化したケースで、これについては大学の内側から批判すること自体が独善的で非相対的だろう……そしてついこないだ、人命を相対化した学生がここから飛び降りた」男は窓の外を見た。「そこまで深い怪我でもなかったが、人命を絶対化する行為として治療を拒み続け、古くからある死の定義や本質についての議論を避けるため、あくまで行政上の手続きとしての事象であることを強調しておくが、彼は死亡したということになった」

「私から言わせればだが、彼ら学生は相対化に対する意欲はあったが、重大な観点の一つを欠いていた――相対化の相対化だ。目先の概念の相対化に囚われ、相対化していること自体を相対的に見られなかった彼らは、結果的に相対化自体を継続することもできなかった」

 彼の言葉に、奥にいた例の無言の男がきっとこちらを睨んできたが、すぐに睨むという行為自体の非相対性に気付いて元の無表情に戻った。しかし無表情であること自体が一種の絶対的なメッセージを発していることに気付いた男は、すぐに自然な笑みや悲しみや怒りや、その他の非相対的な表情を連続的に変化させ、相対化の相対化を成し遂げていることを示した。しかしその相対化の相対化に躍起になっている現状自体が、決して相対的であるとは言えず、むしろ相対化の相対化に束縛されていると言えるだろう。かくして男はあえて無表情になった。しかしそれこそまさに相対化の相対化の相対化を絶対化している行為だった。

「ともかく、相対文化学系の説明会はこんな感じだ。何か質問はあるか……と言いたいところだが、結局のところ相対文化学系なんて専攻はないわけだし、私も君もこの空間もあの男も、ブログの記事を埋めるために生み出された架空の概念の一つに過ぎないわけだから、この世界の中で生み出された疑問を解消すること自体メタ的に見れば無意味だと言えるだろう。創作中の登場人物にメタ的な文脈を語らせるという行為自体、よくよく考えれば創作の基本的なテクニックの一つであって、創作という媒体への束縛をむしろ表しているものだと思われるが、しかしそれに言及する行為自体もまた創作への束縛を示している。結局のところ、何も書かない、何もしない、何も感じない、という手法のみが、あらゆる相対化の最終地点にあるのだ、と結論めいたことを私が語ることにおいて、仮にこの不毛な記事に終止符を打つことができるのだろう」