蛍光色に浮かぶ寿司

colorless white sushis sleep furiously.

今を生きるためのバズワード!「学歴主義の内面化」とは?

 800万クローナ。日本円に直すとおよそ1.13億(2015年7月現在)。何の金額か分かりますか。

 そう、ノーベル賞受賞者ノーベル財団から贈与される賞金の額ですね。

 私があと数年でノーベル賞を受賞し、この金額を貰えることを考えると、やはり心が躍るのをどうしても抑えきれません。ノーベル賞を辞退するという高潔で俗世離れした行為に憧れを抱かないこともないのですが、それでもやはりお金は大切です。

 なぜ私がそんな世界的な賞を戴くことが内定しているのか。答えは簡単です。私がこの記事を世に公表した際には、ピケティをも超える激しい衝撃と賞賛を社会にもたらし、一躍私は時代の風雲児、ちまちまとした賞を受賞し、各国を遊説して講演会でお金を稼ぎながら、スウェーデンへもその名を広め、ノーベル社会学賞の受賞者リストに名を連ねることが確実だからです。

 あれ、でもそういえば、ノーベル賞の一部の部門ノルウェーで選定を行うんでしたよね。社会学賞はどっちでやるんだったっけ。検索してみよう……ノーベル賞……選定地……。

 物理学、化学、医学、文学、経済学賞はスウェーデン、平和賞はノルウェーで選定するんですね。なるほどなるほど。以上6部門の……受賞者には……賞金の小切手、賞状、メダルが……それぞれ贈られる……。なるほど。何か抜けているような……いや、なるほど、そういうことか。

 ノーベル社会学賞、存在しなかったんですね。

 

 前回までのあらすじ
 理性ちゃんは殺人衝動を抱えたごく普通の女の子だったが、あるとき勢い余って感情くんを殺してしまう
 すぐに警察に逮捕され、東京拘置所のある雑居房に収容されていた彼女は、「やる気」を吸引してのトリップに夢中になってしまい……?

 

 「わぁい、ぷかぷか~~!お空を飛ぶのって楽し~い!」

 もう何度目のことでしょうか。今日も理性は青いお空を飛んでいました。雲になったみたいに浮かんでいるのは、日頃閉じ込められている拘置所の暗く狭い雑居房にいるのに比べて、遥かに明るく愉快な体験で、それゆえ理性はすっかりやる気の虜になっていました。

「あそこにいるのはウミガメさんで、あんなところにはイワシの大群!こんにちはイワシさ~ん!!」

 やる気の幻覚効果は凄まじいものでした。すべてが混沌として無秩序である幻覚の世界は、しかし現実よりも遥かに鮮やかで魅力に溢れていたのです。

 「あれ?あのいちご色の雲の隣に浮かんでるのは誰だろう?」

 理性は優雅に回転しながらその人の傍へと漂っていきました。するとそこにいたのは、どこか見覚えのあるような少年で――

「感、情……?」理性の表情から笑みが消えました。

 

「理性ちゃん、久しぶりだけど、今まで元気にしてた?」感情は何気ない声色で訊きました。

「感情……あんた……でも、私、あなたのこと殺したんじゃなかったっけ……」目の前にあるものが信じられない。それが理性の率直な思いでした。

「そう。でもね、復活したんだ」

「復活?」

「よく思い出して。感情ちゃんは、どうして、空を飛んでいるのかな?」感情は諭すように訊ねました。

「それは……」理性ははるか下の地平を見ながら考えます。ぷかぷかとしていた思考が、徐々に形を伴ってはたらき始めました。「そうだ、私、やる気を吸って……」

「そう。ここは君の幻覚の中。だから死んだ人が蘇ってもいいんだよ」

「……!」都合の良い解釈、現実離れした幻覚。そう言ってしまえば簡単でしょう。でも、例えこれが現実の世界で無かったとしても、生きている感情の姿を見られたという体験は、彼女の罪悪感と自己嫌悪に苦しんだ心を癒していきました。理性は知らず知らずのうちに涙を零していました。人生で今まで一度も流したことのなかった嬉し涙。いや、これは純粋な嬉し涙というわけではなく、ただ、今まで溜め込んできた思いが、一気に彼の幻像に触れて溢れ出しただけ。感情に見られないように、そっと手を頬にあてて隠そうとしました。するとその手首を握る感触があり、目を開くと――

「隠す必要は無いよ、理性ちゃん。今まで、本当に辛かったんだよね」感情の優しげな表情が視界を埋め尽くしていました。彼は理性の目をまっすぐに見つめていました。「もう、自分を責めないでもいいんだよ」

「……っ!」理性の涙は零れ落ちる滴から、滝のような流れへと激しくなっていきました。どうして。どうして許してくれるの。私はあなたを殺してしまったというのに――痛くて、苦しくてしょうがなかったはずなのに、どうして――。

 泣き崩れる彼女を、感情は慈愛に満ちた表情で見守っていました。彼女の嗚咽が収まって、やがてただうずくまって涙を流しているだけになったので、彼はその髪の毛をやさしく撫ぜてあげました。そのたびに、彼女が肩の力を抜き、幸せそうに表情を緩めるのを感じました。現実でなくてもいい。幻覚でもいい。彼女の気持ちの整理がつくまで、ずっとそうしているつもりでした。

 

1.進学校における学歴意識の変遷 ――スクールカーストから考える――

感情「それじゃあ、今日は学歴主義の内面化について説明しよう」

理性「え、あれ?今までの流れは?」

感情「残念ながらもう茶番にかけている時間は無いんだ。分かりやすさを重視するために、本編ではこうしてト書きみたいなスタイルを導入することになったんだけど、作者のプライドがそれを阻んだから、導入にああいう寸劇を入れることで作者の文章力を誇示しようとしただけの話だったんだね」

理性「なるほど……」

感情「ところで今日のテーマの学歴主義の内面化。これはいわゆる進学校に属する中高一貫校に通う受験生の内面を阻む現代の闇なんだ」

理性「闇」

感情「そう、闇。進学校と言われる中高一貫校は、入学した当初はみんな勉強のことしか頭に無いようなお坊ちゃん状態なんだけど、学年が中二、中三と上がっていくにつれ様々な方面で自己実現の欲求が芽生え始めるんだ。特に文化部に入った人は、中二病なんてもんじゃない、もっとリアルな痛ましい事故をこの過程で遂げるようになる」

理性「そうなんですか?」

感情「そう」

理性「具体例を挙げて説明し

感情「黙れ。殺すぞ」

理性「」

感情「さて、誰しも中学に入ったときは何らかの部活に入る。その中であえて文化部に入った人は、部に通い続けることができれば、その中身が自分から進んでやる趣味になっていくんだ。もちろん、部活に入っていなくても文化的な趣味は見つけられるんだけどね。ともかく、自分とマッチしたやってて楽しい趣味を見つけると、徐々に本業である勉強は疎かになっていって、趣味のほうに熱中していく人が増えていくんだ」

理性「なるほど」

感情「うん。当然の帰結だね。そうすると、そういう人たちは中学受験の頃に漠然と抱いていた学歴という概念は完全に忘却して、学歴なんて必要ない、おれには趣味がある、他の人とは違う、という気持ちが徐々に生じてくるんだ。こうして徐々に他の運動部の人たちとの間に意識の差が開いていく」

理性「なるほど。運動部の人たちは学歴意識が薄れたりしないんですか?」

感情「友達に運動部出身の人がいないからよく分からないよ」

理性「ああ」

感情「でもまあ、彼らの一年間の行動実績を見ている限り、学歴意識は相当強く持っているんじゃないかな。向上心の結果だと思うから全くそれを批判する意図は無い。ここで言っておくけど、この記事では学歴主義それ自体は批判しない。この記事で問題になるのは、高二くらいまで勉学や成績のことから目を背けてきた趣味人たちの心のことなんだ」 

2.趣味共同体の崩壊、そして学歴主義との接触

感情「高2の文化祭。ここで今まで趣味を通じて分かり合えていた共同体は一気に崩壊する。崩壊するんだ」

理性「崩壊」

感情「そう、崩壊。文化祭終了後、引退を宣言するような連中が現れ始めるんだ。そういった連中は何をしはじめると思う?」

理性「受験勉強」

感情「正解だ。いや、彼らが悪いんじゃないんだ。保護者がどういう意見を持つかで彼らの行動は規制を受けるからね。自然、今まで隣にいた同志が受験勉強のために抜けたという事実は残っている趣味人の心境に大きな影響を与える。

感情「彼らの心の中には、まだ中学校の頃の延長の、おれは勉強なんてしなくても、という思いが残されている。当然だよね。高校生くらいになって、既存の技術を無理なく使いこなせるようになった頃が、一番自己表現が自在に出来るようになって楽しいんだ。それなのに、勉強なんて全くする気にもならない。だから、抜けたような人の気持ちは良く理解できないんだ。

感情「でも、1月頃になると、教室では教師のみならず生徒同士まで受験の話をし始めるようになる。なぜか一年前のセンター同日体験を9割以上の生徒が受けに行く。終わったらその点数を比較しあう営みが行われる。そして2月、3月、もう学年で受験以外の話をする人なんて誰一人いなくなっているんだ」

理性「怖いですね……」

感情「怖い。すごく怖い。特に運動部の人たちは、その競争原理を受験に直接輸入してくる。それを批判するつもりは無いよ。ただ、その会話を耳に挟んだときの、受ける衝撃、恐怖、あれはどれほどのものか」

理性「なるほど……」

感情「なぜかツイッターに模試の自己採点結果を流すクソ野郎*1もいるしな。そういう状況の中で、学歴なんて関係ない、進学先なんて興味ないという人の心も少しずつ変革を迫られていくんだ」

3.学歴主義の「輸入」、すなわち内面化

感情「高三の四月。務めていた役職の任期も満了すると、さすがに部活は引退せざるをえなくなる。そして、受験に向き合わせられる」

理性「向き合わせられる」

感情「受験校選定。学校で何個か模試を受けさせられてて、その結果は既に受け取っているから、それを参照しながら吟味を重ねることになる。だけどね、やっぱり、六年間地道にやってきて、留年用件について少しでもその可能性から目を背けるために条文解釈を行ってきたような経験の無い運動部の人との間には、もうどうしようもない差ができてしまっているんだ。初めて受験と向き合わされてきたとき、元趣味人はそれに否応無く気づかされるんだ」

理性「気づかされるめう……」

感情「今まで学歴なんてどうでもいいと思ってた。だから、進学先もどこでも構わない。そう思って、彼らは実際高望みをしない選択肢を選ぼうとする。だけどね、そうすると、今まで聞き流してきた周りの人の会話が頭の奥底から呼びかけてくるんだよ」

理性「やっためう!すごいめう!」

感情「『お前どこ?』『文III。お前は?』『文I文IIIって実際どうなの?入りやすいっては聞くけど……』という会話。『え?お前東大志望じゃないの?』『うん、そう。阪大』『へーそうなんだ、なんか手堅く決めてくるって感じだな』という会話。

感情「こういった環境の中で、志望校決定をする……実力相応校、あるいは本当に雰囲気があってて行きたい学校を選んだら、周りの人から何と言われるのか。そういうことが本当に気になってしょうがなくなる。学部を選ぶときに、どうしても偏差値表の中での位置を確認して、あまりに低いと上の学部へと変えてしまう……皮肉なものだよね。他の人たちが馬鹿にしてくるかもしれない。そういう恐れを抱き始めた結果、学歴なんて関係ない、って思ってた人たちの中に、学歴主義が輸入されてしまうんだ」

理性「あーめう……」

感情「国語便覧とかを見て、今まで全く気にならなかった出身大学の項を見る。早稲田、京都、そういう『東大でない』大学出身の人を見ると、ああ、この人も大したことなかったんだな、って無意識に決め付けてしまうんだ。本当に恐ろしい病だよ」

4.定義

感情「こういう後になってからの学歴主義の内面化というのは大抵取り返しがつかない。それが一番怖いんだ」

理性「どうしてですか?」

感情「時期が遅すぎたんだ。最初から学歴主義に沿って生きていれば、継続的な努力もできたかもしれない。しかし、後の祭りと言うとおり、今から必死にやったところで、東京大学への合格は適わない。そして大抵の場合、学歴主義の内面化は学歴コンプレックスへとダイレクトに移行するんだ。もちろんこれは医学的に認められた立派な精神疾患*2ここで精神病理の国際的定義集、『精神障害の診断と統計マニュアル 第5版(DSM-V)』を見てみよう」

学歴コンプレックス Gakureki Complex

自分と他者の学歴を比較することにより、日常生活に支障をきたす水準の重篤な精神的苦痛を受けている状態。
特に、

  • 他者の些細な言動を、学歴による差別、あるいはそれが原因として捉える。
  • 自ずから無意識のうちに他者と学歴を比較し劣等感を覚える。
  • 学歴の伴わない自分のこれからの行動に価値を見出せず、無気力状態が続く。

のうち少なくとも2つを満たす状態。*3

理性「うっ……」

感情「これに当てはまるのは対処が必要な水準の人だけだから、さすがに文言も物々しいけど、学歴主義の内面化が進行すると、少なからず人はこういう精神状態に陥るんだ。特に注目して欲しいのは(c)で、仮にその人が真面目にやれば早慶に受かるような実力があった場合でも、『東大と較べたら……』とやる気を失ってしまう場合がある。これこそが現代の闇と言われる所以なんだ」

5.対策

理性「対処法はないんですか?」

感情「それが分かったらこんなこじらせた文章書いてない」

 そう言って、感情は上のほうへと浮かんでいきました。彼の顔は晴れやかでした。すべてを知り、すべてを受け入れ、すべてを諦めた人の顔。それを見上げていました。何となく手を振りたくなったので、手を振って見送りました。

「さようなら、どうかお元気で――」届くか届かないか分からないけど、これが私の最後の挨拶。ゆっくりと下へと沈んでいきながら、理性は決意しました。このトリップが終わったら私は元の雑居房の中。でももう、まやかしのやる気に頼るのはやめよう、と。彼が全てを受け入れたように、私も現実を受け入れなければならない。きっと彼はそれが伝えたかったのだろうと思いました。ゆっくりと、ゆっくりと沈んでいきました。

*1:本当にすいませんでした。

*2:違います。

*3:この引用は虚偽のものです